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娘たちとの京都奈良めぐり。
 
会う人会う人優しくて
見るもの聞くもの珍しく
 
本当に楽しく
勉強にもなったのだけれど
 
カチンと来ることも
いくつかはあったのです。
 
だからまあ
文句言いのわたしだから
 
楽しかったことや
勉強になったことはさて置いて
 
本筋じゃあない
 
カチンと来たことについて
書き残します。
 
『年寄りの繰り言』
 
と言われてしまえば
そりゃあ、その通りだけれど
 
『こんな感じ方もあるのだけれど
如何お考えでしょうか』
 
と、軽い気持ちで
 
皆さんのご意見を拝聴したくて
書いてみます。
 
「飛来さん!
そりゃあ言い過ぎですよ。
 
僻み根性
丸出しじゃあありませんか!!」
 
「パパア、そう言うの止めて!
いっつも話、脚色するんだから!!』
 
と、皆さんや娘たちに
言われてしまえば、まあすぐ
 
引っ込めてもいいような
話です。
 
だけどまあ、暇なら
ちょっと読んでみて下さいよ。
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齢69とは言え

わたしの精神年齢は未だ
ほんの青二才。

いやいや、最近のわたしは
もっと子供返りしていて

駄々っ子状態。

感情のコントロールが
出来なくなって来ています。



娘たちとの今度の旅行

わたしは
いつものように

案内書の1冊も読まず
チラシの1枚も見ず

全てを
娘たちに任せていたのです。

なのにわたしは

あらゆること、あらゆる場面で
一言多い文句言いでした。

自分ではどうしようもなく
喜怒哀楽の情がほとばしり出て

娘たちとも孫たちとも
世間とも

山を作り、谷を作り
風を巻き起こし、荒波を立て

みんなをハラハラドキドキ
させてしまったのです。

だけど
そんなわたしだったのだけれど

今度の旅は
本当のところ

忙しい仕事の合間に様々段取りし
連れ回してくれた娘たちと

後顧の憂いなく
送り出してくれた妻とに

心から感謝した旅で
あったのです。
旅をしながら思い起こすと

35年前に父が亡くなって
3、4年目

わたしは
母と家族を連れて

能登、加賀、越前めぐりを
したのです。

わたしはその時

母中心の旅にしようと
心がけたつもりではいたのですが

果たして母が十分
楽しんでいてくれたのかどうか。

今になると何となく

気遣いが
足りなかったのではないかと

悔やまれるような気が
するのです。

考えてみれば

わたしは母に
どこに行きたいかも聞かず

何を見たいか
何を食べたいかも聞かず

ただ

わたしが見せたいものを
わたしが食べさせたいものを

ただ

押し付けていたように
思い出されるのです。

話題にしたって
子供たちや妻とのことばかり。

たまに来る母にとっては
何のことやら分からない

つんぼ桟敷に置かれたような
会話が多かったのでは

と思うのです。

今その頃の母の歳を過ぎ

娘たちや孫たちに囲まれ
旅してみて

そのことがしきりに
思われたのです。
暑い夏の最中
 
わたしは娘たちと
その1人ずつの子供と計5人
 
10泊11日の
京都奈良めぐりに出ました。
 
その間の母は
 
よくできたわたしの妻が1人で
面倒を見てくれました。

ご先祖様が帰ってくる
お盆に
 
わたしが
実家にいないなんてこと
 
36年前に
父が亡くなって以来
 
1度も無かったこと。

ご先祖様はもちろん

お参りに来てくれるお坊さんも
驚くだろうと

わたしもちょっと後ろめたく
後ろ髪を引かれる思いもしましたが
 
ここは一発
妻の

義侠心だか義妻心に甘え
旅に出ることにしました。
 
妻は
 
母との同居で
アップアップしているわたしを気遣い

「気分転換したら」と言って
送り出しくれたのです。
8月のある日

友人Nから
メールが届きました。



40年卒の皆様へ

昨夜、西岡君から
訃報が入りました。

卒業してから
付き合いのなかった方も

多いとは思いますが
連絡いたします。

同期の山田君が8月6日
敗血症で亡くなりました。

ご家族で
密葬されるとのことです。

彼は

全身の筋肉が徐々に失われて行く
難病にかかっていました。

横浜港を見下ろす
病室や

奥沢の特殊専門病院に
見舞いましたが

彼は
山深い長野・飯田の出身らしく

いつも気高く、温情篤く
振舞っていました。

昨年の丁度今頃は
もう

喉に管を入れていて
話もできず

二人で手をつないだまま
高校野球を観戦しました。

「死ぬ前に
ゼミの仲間に会っておきたい」

と、行く度言っていましたが
僕からは連絡が取れず

残念でした。

これから岡山の実家に
お盆で帰郷します。

10日と17日の真夜中には
飯田の町を通過しますので

PAに車を止めて合掌してきます。
以上、連絡いたします。



Nへ

山田君の訃報に
言葉がありません。

彼の端正な顔立ちと
姿勢のよい佇まいを思い出します。

彼は
外資系の会社に勤めていて

僕の会社にも何度か来てくれ
家にも

その都度寄ってくれました。

僕は高校が
同じ長野県だったので

彼には何となく
近しい気がしていました。

40年会でも

何度か会ったことがあるが
元気そうで

こんなに早く亡くなるとは
思ってもみませんでした。

69やそこらじゃあ
今時若すぎるもの

どんな気持ちで死を迎え入れ
亡くなっていったのか。

やっぱり
慰める言葉がありません。

心からご冥福を祈ります。
飛来 太郎

追伸
今は東京かね?

明日から20日まで娘たちと
奈良京都めぐりをします。

暑そうなので
ちょっと大変だけれど

嫁に行った娘たちと
10日も一緒にいられるなんて

そうそうないことだからね
楽しんできます。

君は親孝行
してきてください。
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