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平成20年11月15日

「百寿舎」をお披露目し

「飛来乙女の百寿を祝い
皆様に感謝申し上げる食事会」

を、開きました。

 

12d290f5.jpeg

5e6f028a.jpeg
  お客様がつぎつぎ
   百寿舎へ集まって





100年生きて来た
母には

お世話になった方が
数え切れないほどおられます。

当日はその中から
今なお親しく
お付き合いさせて頂いている

友人や教え子、近所の方々
親戚、子、孫、ひ孫

総勢70名の方々に
代表としてお集まり頂きました。

おかげさまで、心温まる
素晴らしい会となりました。



このお祝い会では
2つの嬉しいことがありました。

ひとつはもちろん

母の為に
多くの方々にお出で頂けたこと。

もうひとつは

一族の一層の結束が
得られたこと。

わたし達のつれあいや
甥姪たちが
大活躍してくれたのです。

受付やら誘導やら下足番やら

茶菓の出し入れやら
展示物の説明やら

車の整理やら撮影やら・・・

母を初めとするご高齢の方々への
介添えやら通訳やら・・・

そして
司会進行やら映写やら・・・。

100歳の母の為に
一族が心を合わせる。

こんな経験は

それこそ
2度とないことだろうと思います。

まだ幼いひ孫たちが

活躍する大人達の様子を
どんな風に心にとどめたか

わたしは楽しみにしているのです。

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母の記念館・百寿舎!

それは

全く私的なものだけれど
ちょっとだけ紹介すれば・・・



「百寿舎」
外観は
母屋や蔵に合わせました。

8ece6513.jpeg






「母・百寿の笑顔」
これが展示の目玉です。

acc2a4f1.jpeg








100歳の母には
いつまでも
この笑顔でいて欲しいと思います。

「百寿人形」
これも展示品のひとつです。

852a1ab3.jpeg








足を投げ出し
新聞を読む姿が母そっくり。

笑ってしまうこの人形
長女が足掛け3日で作りました。

「寿・百字」
これも展示品のひとつです。

a29a0a75.jpeg








次女が何日もかけ

中国西安の拓本をもとに
心を込めて書き上げました。

「母と子供たち」
これも展示品のひとつです。

59338f30.jpeg






母は1男4女に恵まれました。

100年生きると
楽しいことだらけです。 

長屋の取り壊しに
我が子、甥姪こぞって反対。

これには
わたしもいささか動揺。

わたしにだって

「覆水盆に帰らず」の迷いが
もともとあるのです。

だけど

これらの反対
胸に仕舞っておきました。

男一匹、息子一匹

「建てる」と宣言した以上
わたしには走る道しかないのです。

決心したら猪突猛進

反対があろうとなかろうと
聞く耳持たず

やると決めたらやる
それが、息子の務めです。

『孫子(まごこ)の代まで
みんなが使える記念館』

を旗印に建設開始。

工務店を急がせて
8月20日に長屋の取り壊しを開始
10月末日に完工。

姪の1人・ミソノの提案で
名前を

「百寿舎(ひゃくじゅや)」
に決めました。

その間に

出足の悪かった姉妹も乗りのりになり

張切る甥姪の力を借りながら
兄弟姉妹スクラム組んで七転八倒。

母の100年を何とかまとめ

「飛来乙女の百寿を祝う会」に
間に合わせたのです。

長屋を潰し
その跡地に記念館を建てる

これが母の希望です。

「あの古びて傾(かし)いだ
長屋が何とも目障り

ずうっと気になっていたの」

っと、母が言ったのです。

傾いでいるからと言うのなら

母屋だって蔵だって
みんな傾いでいるのです。

長屋だけを目の敵にするのは
片手落ち

そうは思うのだけれど

もうわたしは
『毒食わば皿まで』の心境。

この際全て

母の希望通りにしてやることに
したのです。



所が

いざ潰す段になると悪評続出

「ええっ!潰しちゃうの?
私は反対。

あの長屋は

あのまんま残しといた方がいいと
私は思う。

古い物は大事にしなきゃあ
潰すなんてとんでもないわ!」

聞きもしないのに

わたしの長女が
意見を言って来ました。

「駄目だよ、そりゃあ!

傾いていたって腐っていたって
それが歴史。

味があるんだからね」

いつもはメールの返事もよこさない
長男までもが

反対の電話をかけて来たのです。

聞けば
甥姪こぞって反対だというのです。

母の記念館を建てる。
展示品を整理する。

そう決心はしたものの
一人でやるのはやっぱり大変。

それで
姉妹も巻き込むことにしたのです。

その為には

みんなに意見を出させ
士気を高めることが大事。

「死んでも死にきれない母の為に
全員集合!!」

っと、姉妹に招集をかけたのです。

ところが

案に相違して
姉妹の反応は鈍いもの。

3女を除いてみんな他人事なのです。

「私は今うつ病だからね
ギブアップ。

自分のことだけで精一杯。

だから
みんなだけで頑張ってね!」

これが長女の初期反応。

次女はと言えば

「・・・・・・・・・・・・」

「連絡が欲しい」と留守電に
何度入れても梨のつぶて

まったく音沙汰無し。

真正4女はと言えば

「分った、協力する。
だけど今は駄目、忙しすぎる」

後先も考えず先走り
見積書まで作らせた真正4女は

責任も感じずもうこの態度。

愚痴るわたしに

「男はそういうことを言わないもん。

私は万難を排すからね。
行きがかり上責任あるもんね!」

っと、3女だけが健気です。



まあ、こんな調子で
「母の記念館」建設が始まったのです。

もちろん
仕様は1から練り直し

記念館は
母屋と蔵の間にある長屋を潰し

その跡地に
建てることにしたのです。

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