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『ことぶきマスター読本
いずみの里』に
87歳の母が書いていました。
『一隅の一隅を照らす人をめざし
飛来 乙女
県に
ことぶきマスター制度が発足して
間もない
昭和57年頃だったでしょうか。
私はことぶきマスターの意味も
よく知らないまま
人にすすめられ、推薦されて
お仲間入りしました。
そのころの私は
昭和50年に習い始めた詩吟を
10人位のグループで
やっておりましたので
詩吟の名目で
加入させて頂きました。
当時はまだ
趣味のグループというのが
あまりありませんでしたから
珍しかったのです。
そんなわけで
せっかく詩吟の名目で登録され
バッジ迄頂いたものですから
そのバッジに負けないようにと
一生懸命頑張って勉強しました。
県の会合にもよく出ましたし
村の行事にもよく参加しました。
でも、月日の経つのに従って
いつの間にやら
ことぶきマスターとしての
自覚は薄れてしまい
関心も
無くなってしまいました。
ことぶきマスターという言葉も
口にすることはありませんでした。
ところがこの度
役員の方から再び
ことぶきマスターのことをお聞きして
急に息を吹き返したような
新鮮な懐かしさを覚え
喜んで今日の日を
迎えた次第です。
私は現在、詩吟は勿論のこと
民謡やマンドリンなど
下手ながら
いろいろなグループに所属して
大勢の方々とお付き合いし
親しくして頂いています。
そして、機会ある毎に
その方々の
尊い人生体験をお聞きしたり
知識や技術技能を吸収したりして
加入させて頂いていて
ほんとによかったと
有難く思っているのです。
年をとっても、多くの人々に接し
勉強できることは
素晴らしいことだと思います。
私のように年を取りますと
皆さんのお世話になることばかりで
自分の得たものや
持ってるもので
人の為、社会の為に
貢献することはなかなか困難です。
今の私に出来ることは
ただ
地域の人々や多くの交友関係者と
いつも明るく楽しく
お付き合いしたいと
願うことです。
相手の人が私に会った時
何となく気分が明るくなり
心が和むような存在
『一隅の一隅を照らす』ことが出来る
人間になりたいと
私は今、そんな望みをもって
生きているのです。
いずみの里』に
87歳の母が書いていました。
『一隅の一隅を照らす人をめざし
飛来 乙女
県に
ことぶきマスター制度が発足して
間もない
昭和57年頃だったでしょうか。
私はことぶきマスターの意味も
よく知らないまま
人にすすめられ、推薦されて
お仲間入りしました。
そのころの私は
昭和50年に習い始めた詩吟を
10人位のグループで
やっておりましたので
詩吟の名目で
加入させて頂きました。
当時はまだ
趣味のグループというのが
あまりありませんでしたから
珍しかったのです。
そんなわけで
せっかく詩吟の名目で登録され
バッジ迄頂いたものですから
そのバッジに負けないようにと
一生懸命頑張って勉強しました。
県の会合にもよく出ましたし
村の行事にもよく参加しました。
でも、月日の経つのに従って
いつの間にやら
ことぶきマスターとしての
自覚は薄れてしまい
関心も
無くなってしまいました。
ことぶきマスターという言葉も
口にすることはありませんでした。
ところがこの度
役員の方から再び
ことぶきマスターのことをお聞きして
急に息を吹き返したような
新鮮な懐かしさを覚え
喜んで今日の日を
迎えた次第です。
私は現在、詩吟は勿論のこと
民謡やマンドリンなど
下手ながら
いろいろなグループに所属して
大勢の方々とお付き合いし
親しくして頂いています。
そして、機会ある毎に
その方々の
尊い人生体験をお聞きしたり
知識や技術技能を吸収したりして
加入させて頂いていて
ほんとによかったと
有難く思っているのです。
年をとっても、多くの人々に接し
勉強できることは
素晴らしいことだと思います。
私のように年を取りますと
皆さんのお世話になることばかりで
自分の得たものや
持ってるもので
人の為、社会の為に
貢献することはなかなか困難です。
今の私に出来ることは
ただ
地域の人々や多くの交友関係者と
いつも明るく楽しく
お付き合いしたいと
願うことです。
相手の人が私に会った時
何となく気分が明るくなり
心が和むような存在
『一隅の一隅を照らす』ことが出来る
人間になりたいと
私は今、そんな望みをもって
生きているのです。
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