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母を
大部屋へ移動させる決断。
わたし達が限界に来ていたことも
もちろんあったのですが
わたし達の危惧にも拘らず
母が意外に
病院生活に順応していることが
分かったからでもあったのです
生まれて初めての
1か月余りの入院生活で
母には
家族のいない生活への耐性が
出来たように思えたのです。
それに
喜んでいいのか悪いのかは
分からないけれど
母は
家族がいなくとも
人かげさえ見えていれば寂しさを
あまり感じないように
なってるようにも思えたのです。
だから、わたし達は
母を
ナースセンター前の大部屋へ
入れてくれるようにお願いしたのです。
ナースセンター前の
そこなら
例え会話はしなくても
人の姿は見えるし
看護師さんの出入りだって
しょっちゅう有るし
母にも耐えられると
考えらたのです。
そんなわけで
わたし達の病院通いは
昼と夜の2回の
食事介助だけの為になったのです。
大部屋へ移動させる決断。
わたし達が限界に来ていたことも
もちろんあったのですが
わたし達の危惧にも拘らず
母が意外に
病院生活に順応していることが
分かったからでもあったのです
生まれて初めての
1か月余りの入院生活で
母には
家族のいない生活への耐性が
出来たように思えたのです。
それに
喜んでいいのか悪いのかは
分からないけれど
母は
家族がいなくとも
人かげさえ見えていれば寂しさを
あまり感じないように
なってるようにも思えたのです。
だから、わたし達は
母を
ナースセンター前の大部屋へ
入れてくれるようにお願いしたのです。
ナースセンター前の
そこなら
例え会話はしなくても
人の姿は見えるし
看護師さんの出入りだって
しょっちゅう有るし
母にも耐えられると
考えらたのです。
そんなわけで
わたし達の病院通いは
昼と夜の2回の
食事介助だけの為になったのです。
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病院関係者の
献身的な治療や介護
妹たちの
懸命の看病にも関わらず
母の病状は一進一退。
体温は37度台と38度台とを
行ったり来たりで
誤嚥の咳込みも
相変わらずで
これに
主治医の予言通り
誰に聞いても原因の分からない
右手の骨折が重なり
母は自分では
食事が取れなくなりました。
それで仕方なく
わたし達は
長期戦を覚悟しました。
わたしと芽衣子の交代を機に
母には
大部屋に移ってもらうことに
したのです。
母が何か言うたび
起きねばならない
看護士さんが巡回に来ても
起きねばならない
仮眠ベッドでの毎日。
仕事と自分の家と病院との
3重生活。
妹たちやわたし自身の疲労も
限度に達し
母には大部屋に
移ってもらうことにしたのです。
献身的な治療や介護
妹たちの
懸命の看病にも関わらず
母の病状は一進一退。
体温は37度台と38度台とを
行ったり来たりで
誤嚥の咳込みも
相変わらずで
これに
主治医の予言通り
誰に聞いても原因の分からない
右手の骨折が重なり
母は自分では
食事が取れなくなりました。
それで仕方なく
わたし達は
長期戦を覚悟しました。
わたしと芽衣子の交代を機に
母には
大部屋に移ってもらうことに
したのです。
母が何か言うたび
起きねばならない
看護士さんが巡回に来ても
起きねばならない
仮眠ベッドでの毎日。
仕事と自分の家と病院との
3重生活。
妹たちやわたし自身の疲労も
限度に達し
母には大部屋に
移ってもらうことにしたのです。
10日振りに見た母は
ベッドで
体をZ状に折り曲げ
横向きで
寝息も立てず
昏々と寝入っていました。
「ゆんべは大変だったわよ
お母さんが一睡もしないんだもの。
どうしてだか昨日
右手を骨折しちゃってね。
痛くて手の置き場が
無いって言うのよ。
痛がって痛がって
もぞもぞもぞもぞ。
寝たと思ったら起こしてでしょ。
起こしたと思ったら寝かせてでしょ。
そんなのが
一晩中続いたのよ。
おかげで私だって
一睡もできなかったんだから」
とは、芽衣子の説明。
芽衣子も寝不足と
気疲れからでしょうが
憔悴し切り
いつもの美貌はどこへやら
目の下に隈を作り
めっきりやつれていました。
「だからね。
今朝
睡眠薬を処方して頂いたのよ」
と言うのです。
そんなわけで
「乙女さん!
起きてください!!
大好きな息子さん
太郎さんが来られましたよ!
乙女さん!!
起きて!!!」
と、看護師さんが耳元で
何度も呼びかけたのに
母は全く反応せず
爆睡を続けたのです。
ベッドで
体をZ状に折り曲げ
横向きで
寝息も立てず
昏々と寝入っていました。
「ゆんべは大変だったわよ
お母さんが一睡もしないんだもの。
どうしてだか昨日
右手を骨折しちゃってね。
痛くて手の置き場が
無いって言うのよ。
痛がって痛がって
もぞもぞもぞもぞ。
寝たと思ったら起こしてでしょ。
起こしたと思ったら寝かせてでしょ。
そんなのが
一晩中続いたのよ。
おかげで私だって
一睡もできなかったんだから」
とは、芽衣子の説明。
芽衣子も寝不足と
気疲れからでしょうが
憔悴し切り
いつもの美貌はどこへやら
目の下に隈を作り
めっきりやつれていました。
「だからね。
今朝
睡眠薬を処方して頂いたのよ」
と言うのです。
そんなわけで
「乙女さん!
起きてください!!
大好きな息子さん
太郎さんが来られましたよ!
乙女さん!!
起きて!!!」
と、看護師さんが耳元で
何度も呼びかけたのに
母は全く反応せず
爆睡を続けたのです。
12月6日
わたしは病院の
母の元に戻って来ました。
わたしがいなかった
この10日間は、連日24時間
妹の瑠璃と芽衣子が交代で
付き添っていました。
もちろん、病院は
完全看護ではあるのだけれど
母を1人にするわけには
いかなかったのです。
と言うのは
大勢がいるように見える
病院ではあっても
個室での入院生活は
意外に孤独。
主治医だって看護士さんだって
理学療法士さんだって
ほんのたまにしか来ません。
付添いがいなければ
誰か来るまで
母は独りで
2時間でも3時間でも
見たくもない天井を
眺めているしかないのです。
人好きで
寂しがり屋の母
本も読めず、テレビも見られず
ラジオも聞こえない母にとって
それはもう地獄の苦しみ
気を紛らわそうにも
紛らわす種が無いのです。
そんな母の気持ちを想像すると
独りにしておくことなど
わたし達には
とても出来ませんでした。
だから、仕方なし
わたし達は万難を排し
四六時中母に
付き添うことにしたのです。
わたしは病院の
母の元に戻って来ました。
わたしがいなかった
この10日間は、連日24時間
妹の瑠璃と芽衣子が交代で
付き添っていました。
もちろん、病院は
完全看護ではあるのだけれど
母を1人にするわけには
いかなかったのです。
と言うのは
大勢がいるように見える
病院ではあっても
個室での入院生活は
意外に孤独。
主治医だって看護士さんだって
理学療法士さんだって
ほんのたまにしか来ません。
付添いがいなければ
誰か来るまで
母は独りで
2時間でも3時間でも
見たくもない天井を
眺めているしかないのです。
人好きで
寂しがり屋の母
本も読めず、テレビも見られず
ラジオも聞こえない母にとって
それはもう地獄の苦しみ
気を紛らわそうにも
紛らわす種が無いのです。
そんな母の気持ちを想像すると
独りにしておくことなど
わたし達には
とても出来ませんでした。
だから、仕方なし
わたし達は万難を排し
四六時中母に
付き添うことにしたのです。
会社時代の友人から
ちょっと笑っちゃう
メールが来たので紹介します。
世の中にはこんな会話を楽しんでいる
ご夫婦もいのですよ。
『オーム真理教事件の
平田容疑者が出頭し
続いて
彼を匿っていたという
斉藤明美容疑者が出頭しました。
このニュースを見て僕は
女房に言いました。
「事件のことはさて置いて
17年も匿い続けるなんて
凄いことだなあ。
誰にも真似
出来ることじゃあないよ。
彼女みたいなのが
男にとっちゃあ理想
女の鏡なんだよ」
と、意のままにならぬ女房と
彼女とを
頭の中で
比較しながら言ったんです。
すると女房、僕の頭ん中を
素早く察知して
ピシャリと
切り返して来ました。
「尽くすのは相手によりけり!
女はね、愛する人のためなら
全てを捨てられるのよ。
でもね
相手がお馬鹿じゃあ
お話になんないわよ!」
と言われて僕はギャフン。
「だけど、このふたりの逃避行
きっと映画化されるわよ」
と言うのが
女房の観測です。』
ちょっと笑っちゃう
メールが来たので紹介します。
世の中にはこんな会話を楽しんでいる
ご夫婦もいのですよ。
『オーム真理教事件の
平田容疑者が出頭し
続いて
彼を匿っていたという
斉藤明美容疑者が出頭しました。
このニュースを見て僕は
女房に言いました。
「事件のことはさて置いて
17年も匿い続けるなんて
凄いことだなあ。
誰にも真似
出来ることじゃあないよ。
彼女みたいなのが
男にとっちゃあ理想
女の鏡なんだよ」
と、意のままにならぬ女房と
彼女とを
頭の中で
比較しながら言ったんです。
すると女房、僕の頭ん中を
素早く察知して
ピシャリと
切り返して来ました。
「尽くすのは相手によりけり!
女はね、愛する人のためなら
全てを捨てられるのよ。
でもね
相手がお馬鹿じゃあ
お話になんないわよ!」
と言われて僕はギャフン。
「だけど、このふたりの逃避行
きっと映画化されるわよ」
と言うのが
女房の観測です。』