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『おっはー、N!
今日は日本晴れ
八ヶ岳の雪も多くなった。
この寒さじゃあ
もう消えないだろうな。
ホッカロンは気を付けないと
危ないよ。
お袋も時々使うんだが
俺はいっつも
低温火傷を心配してる。
だってね
お袋もちょっと前
低温火傷したんだよ。
俺んちじゃあ
寒さ対策に
便器の横に温風機を
置いておくんだけどさ
お袋が
斜めに座って
用を足していたもんだから
足が近づき過ぎて
低温火傷をしちまった。
「何で
斜めになんか座るのよ!
熱かったら足
離せばいいじゃない!」
って言ったんだが
「だって
少しぐらい我慢できるって
思ったんだもの」
って言うのがおふくろの返事。
「気を付けて!」
って期待するのが
そもそも間違ってるんだって
思い知らされたよ。
今もその、足首の
火傷の跡が残っていてね
その痕見るたび
自分の配慮不足に
俺はいっつも
悔恨の念に駆られてる。
どうしてもっと考えて
置かなかったんだとね。
『足を近付け過ぎたお袋が悪い』
なんて
屁理屈言ったって
もう駄目なんだ。
年を取ると万事
感覚も
判断力も鈍って来るんだよ。
お袋にゃあもうそんな
注意力期待できないんだ。
だけどね!!!
君はまだまだ若い。
東京と明野を月に何回も
行ったり来たりなんて
誰にでも
できる事じゃあないんだよ。
富山と山梨をしょっちゅう
行き来してる俺もだけど
俺たちゃあ結構若いんだよ
歳に比べて!!!』
今日は日本晴れ
八ヶ岳の雪も多くなった。
この寒さじゃあ
もう消えないだろうな。
ホッカロンは気を付けないと
危ないよ。
お袋も時々使うんだが
俺はいっつも
低温火傷を心配してる。
だってね
お袋もちょっと前
低温火傷したんだよ。
俺んちじゃあ
寒さ対策に
便器の横に温風機を
置いておくんだけどさ
お袋が
斜めに座って
用を足していたもんだから
足が近づき過ぎて
低温火傷をしちまった。
「何で
斜めになんか座るのよ!
熱かったら足
離せばいいじゃない!」
って言ったんだが
「だって
少しぐらい我慢できるって
思ったんだもの」
って言うのがおふくろの返事。
「気を付けて!」
って期待するのが
そもそも間違ってるんだって
思い知らされたよ。
今もその、足首の
火傷の跡が残っていてね
その痕見るたび
自分の配慮不足に
俺はいっつも
悔恨の念に駆られてる。
どうしてもっと考えて
置かなかったんだとね。
『足を近付け過ぎたお袋が悪い』
なんて
屁理屈言ったって
もう駄目なんだ。
年を取ると万事
感覚も
判断力も鈍って来るんだよ。
お袋にゃあもうそんな
注意力期待できないんだ。
だけどね!!!
君はまだまだ若い。
東京と明野を月に何回も
行ったり来たりなんて
誰にでも
できる事じゃあないんだよ。
富山と山梨をしょっちゅう
行き来してる俺もだけど
俺たちゃあ結構若いんだよ
歳に比べて!!!』
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「おじちゃん!
『カーネーション』観てる?」
と、姪のミソノから
電話がありました。
「おじちゃん観てるんならね
おばあちゃんの写真投稿しない?
NHKで
当時の写真募集してるから。
おばあちゃんはおしゃれだし
フォトジェニックだから
採用される気がするのよ」
と、ミソノは言うのです。
『カーネーション』は
わたしのお気に入りの番組
面白くて
毎朝観ています。
だからわたしは
アドレスを教わり
早速投稿したのです。
『カーネーション』観てる?」
と、姪のミソノから
電話がありました。
「おじちゃん観てるんならね
おばあちゃんの写真投稿しない?
NHKで
当時の写真募集してるから。
おばあちゃんはおしゃれだし
フォトジェニックだから
採用される気がするのよ」
と、ミソノは言うのです。
『カーネーション』は
わたしのお気に入りの番組
面白くて
毎朝観ています。
だからわたしは
アドレスを教わり
早速投稿したのです。
今日は12月8日。
70年前の今日
太平洋戦争の戦端が開かれました。
母が入院している病院への道を
走っていると
12月ももう
半ばだというのに
たわわに実った
取られないままの柿の実が
あちこちに見られます。
昔は
神様と旅人の為だと言って
2つだけ残して全部取り切り
枯露柿にしたものですが
時代は変わりました。
せっかく作っても
今は飽食の時代です。
美味い物が他に
山ほどあって
わたしの子供達は
ひとつも食べないのです。
もちろん
わたしだって
昔みたいには食べません。
甘い物の無かった
子供の頃への郷愁で
ひとつふたつ食べるだけです。
それなのにわたしは
秋になるとやっぱり
200個以上の枯露柿を
作ってしまいます。
「そんなに作ってどうするの!?
誰も食べやしないのに!!」
っと、妻に馬鹿にされながらでも
作ってしまうのです。
でもね
そう言っておきながら
1番食べるのは妻なのです。
妻だって
あの食べ物の無かった
あの甘い物の無かった
あの戦後に育ち
枯露柿にはわたし以上の
郷愁を抱いているのです。
70年前の今日
太平洋戦争の戦端が開かれました。
母が入院している病院への道を
走っていると
12月ももう
半ばだというのに
たわわに実った
取られないままの柿の実が
あちこちに見られます。
昔は
神様と旅人の為だと言って
2つだけ残して全部取り切り
枯露柿にしたものですが
時代は変わりました。
せっかく作っても
今は飽食の時代です。
美味い物が他に
山ほどあって
わたしの子供達は
ひとつも食べないのです。
もちろん
わたしだって
昔みたいには食べません。
甘い物の無かった
子供の頃への郷愁で
ひとつふたつ食べるだけです。
それなのにわたしは
秋になるとやっぱり
200個以上の枯露柿を
作ってしまいます。
「そんなに作ってどうするの!?
誰も食べやしないのに!!」
っと、妻に馬鹿にされながらでも
作ってしまうのです。
でもね
そう言っておきながら
1番食べるのは妻なのです。
妻だって
あの食べ物の無かった
あの甘い物の無かった
あの戦後に育ち
枯露柿にはわたし以上の
郷愁を抱いているのです。