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「熱いんなら、熱いって
何で
言ってくれないのよ!
夜中だって何だって
何で
起してくれないの!
低温火傷したら
どうにもならないじゃない!」
と、母をなじったわたしですが
調べてみるとその原因
見守る
わたし達にあったのです。
「ゆんべは寒かった。
足が冷えて
少しも眠れなかった!」
と、前日の朝
母が起きて来るなり
言ったのです。
だからわたしは
電気毛布のスイッチを
1目盛り上げてやったのです。
ところが
同じ話を聞いた妻も
1目盛り上げていたのです。
しかも
同じ話を聞いた3女も
足元に毛布を2枚
余分に載せていたのです。
だから
言われて測ってみると
布団の胸元の温度が30度
足元温度が48度。
危うく母を
ローストしちまう所だったのです。
わたしは、見守る者の
意思疎通の大切さを
痛感したのです。
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「熱くて熱くて
ゆんべは
少しも寝られなかった!
足を伸ばすと
火傷するぐらい熱いの。
だから
足を伸ばしたり、引っ込めたり
一晩中、そんなことを繰り返して
少しも眠れなかったのよ」
寒い朝が続いたある朝
母が起きて来るなり言いました。
見れば
母の足の甲がまっかっか。
「熱いんなら、熱いって
何で
言ってくれないのよ!
夜中だって何だって
何で
起してくれないの!
低温火傷したら
どうにもならないじゃない!」
何で
言ってくれないのよ!
夜中だって何だって
何で
起してくれないの!
低温火傷したら
どうにもならないじゃない!」
と、わたしは思わず
なじってしまったのです。
なじってしまったのです。
実家に帰ると
妻とわたしは毎晩
妻とわたしは毎晩
近くの温泉に行きます。
昔は母も
一緒に行ったのだけれど
今は歩行がやっとの身
独り、留守居番です。
そんな母が
ある日の日記に書いていました。
今日は12月23日。
朝のうちは晴れだと思っていたが
午後からだんだん曇り
そのうち本降りになってしまった。
太郎と晴子ちゃんは夕食後
今夜もお風呂に行き
私は2日続き3日続きで
留守居番役。
自分独りだけ
若者の1人もいない
寂しい家に取り残されて留守居番。
やっぱり元気でなければ
と、寂しく思った。
夜の独りだけの留守居番
いつもの事だが
人間丈夫でなければ
と、しみじみ思った。年を取ったとは言え
母はやっぱり
わたし達と一緒に
同じことをしていたいのです。
あっと言う間に1年が経ち
今年も余す所、今日明日
2日だけになりました。
書き始めたわたしの闘病記
まだまだ続きますが
年末年始のあれこれを
少しばかり書いた後
また続けたいと思います。
生まれて初めての入院生活
いろんなことがありました。
闘病記の続編では
下のようなテーマで書いて行く予定。
初春とともにお楽しみ下さい。
母の見守り日程 見守りの不文律 滅私奉公なんて嫌
何が何でも治さなきゃあ 珍しく優しかった妻 妻の本性
主治医の断言 治療計画 初めて始めた時のこと
このまま死ぬのか 病室 病室仲間 暗転 拗ね者風の会話
拗ね者風の身上 拗ね者風の挨拶 拗ね者風の行状 お願い
拗ね者風の啖呵
「腰痛は長引くわよお!
半年、1年なんてざらなんだから。
わたしなんか、完治するまで
3年も苦しんだの、3年もよ!
1番酷い時なんて
婿殿にお姫様だっこされて
トイレに通ったのよ。
その惨めさったら
無かったわ!
その後、いくら澄ましたって
威厳も何もあったもんじゃないんだから!」
わたしが腰痛だ
と聞いた長姉が
電話で
脅しをかけて来ました。
交替日より
1日早く来てくれた3女も
「私達が来ているうちに
入院でも何でもして
直しちゃった方が・・・」
と、これは真面目に
勧めてくれました。
姉妹のこの『脅しと勧め』と
打ち続く激痛とが
わたしに
入院を決意させたのです。