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敬老の日の前日

自称4女の遼子さんが

福祉関係で
活躍されておられる方々を

大勢連れて来てくれました。

そして、プレゼントも・・・。

「百歳を超えて

いまだ人々のために役立つ
その生き方がまぶしい」

表書きに
そう書いてありました。

遼子さんはいつも

現役で活躍しておられる
方々を

次々
母に会わせてくれています。

母は
そんな方々に励まされ

生きる力を
もらっているのです。

それなのに、母はもう

お訪ね下さる方々に
何もして上げられません。

だけど

ただニコニコと

笑顔で迎えて上げることだけは
出来るのです。

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同じ日

市長さんの
次に来られたのが

新聞社の女性記者さん。

敬老の日に向けた取材です。

記者になって
2年目の初々しい方。

孫よりひ孫に近い記者さんに
様々問われ

母は来し方
100年を振り返っておりました。

1bcc1093.jpeg








21日の

朝日新聞山梨版の
トップに載った母の笑顔が

「私だって、頑張るぞ!」



沢山のお年寄りにそう思わせたら
最高だと思っています。
母が退院して10日

敬老の日の前々日

市長さんが
お祝いに来てくれました。

ab745874.jpeg
市長さんから記念品を頂く母。
座ったままでと言うのに
律儀に立ったのです。





市からは

百寿のお祝いにも
来て頂きましたので

まさか

101歳でもとは
思ってもいませんでした。

わたし達も
実家に駆けつけ

母も
朝から大張り切り

おめかしをして
市長さんを待っていたのです。

市長さんは

真正4女の高校の後輩で
バス通仲間。

おまけに
父君はわたし達の父の同級生。

だから、わたし達は

昔話に
楽しい一時を過ごしたのです。



市長さんによると・・・

母が住む市には
100歳以上の方が19名おられ

今年新たに

10名の方が
100歳を迎えられた

と、言うのです。

5万人の町に
100歳以上が29人

まさに、ご長寿時代

わたし達若い者が頑張らなきゃあ
と、つくづく思ったのです。

母が
退院した翌日

近所の奥さんが
見舞いに来てくれました。

ところがその奥さん

鼻に大きな絆創膏を
貼っています。

まるで
どっかの農水大臣みたいです。

母の入院より
それがまず話題になりました。

「スーパーへ行った帰りに
転んじゃってね。

顔を打っちゃったのよ。

手をつくより先に
顔をつくようになったら

人間終わりだわね」

76歳になったばかりの
その奥さんが

諦めたように言いました。

この奥さん

45歳で旦那さんに先立たれ

女手ひとつで育て上げた
息子達も

この4年の間に

49歳と46歳で
立て続けに亡くしているのです。

わたしは奥さんの無残な顔に
慰める言葉も無く

知った風なことを
つい言ってしまったのです。

「でもね、奥さん。

ほっぺたより
鼻が高いのが証明できて

よかったじゃない。

それに

そりゃあ神様が与えてくれた
試練なんだよ。

神様はねえ

背負える人だけに
重荷を背負わせるんだよ。

だから
奥さんも頑張らなくっちゃ!」って。

すると
母が言ったのです。

「じゃぁ私は

重荷を背負えない
人間だって言うの?」って。

まあそれで
そこにいた5人が大笑い。

絆創膏の奥さんも破顔一笑
絆創膏に花を添えたのです。

母が倒れた状況を

ヘルパーさんが
記録しておいてくれました。

わたしはこれを
母が退院してから読んだのです。



ヘルパーさんの記録です。

午前中に伺った時、乙女さんが
「パンを食べたい」と言われたので
パンを買って6時に伺いました。

乙女さんはその時
居間に座っておられましたが喜ばれ
「それじゃあキッチンで食べましょう」
と、おっしゃいました。

それで
両手を握って階段までご一緒してあげ
そこからは乙女さんが一人で
階段の両側の手摺につかまりながら
降りられました。

私が階段の下で待っていると
残り3段位の所で
体の力が抜けてしまいました。
(6時10分位のことです)

身体は自分で支えてはいますが
全身がだらんとしていました。

私の声かけに応答はしませんが
右手はしっかり握っていました。

4、5回の声かけで
うめき声のような発語がありましたが
はっきりせず
よだれが垂れておりました。

段々発語が増えましたが
言葉にはなりませんでした。

「戻って横になりましょう」と言いましたが
キッチンへ行きたい様子なので
キッチンへ連れて行き
椅子に座らせました。

が、ぐらぐらして
支えていなければなりませんでした。

その内
言葉も少しずつ聞き取れるようになり
事務所に電話を入れて状態を話し
救急車を
お願いしてもらうことになりました。

乙女さんは
6時40分に救急搬送されました。
その後私はキッチンを片付け
戸締りをして退出しました。



わたしはこれを読んで

ヘルパーさんと派遣会社に
心から感謝したのです。

おかげで
母の倒れた様子も分ったし

それより何より

母の緊急時に
的確な対処をしてもらえた事が

本当に有難かったのです。

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