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なぜ、集音器
【楽聴】を開発したのか?
わたしはある会合で
次のようにお話したのです。
【楽聴】は
市販されている一般的な補聴器が
合わなくなった方の為の
集音器です。
補聴器を
自分で装着出来なくなった方
スイッチのON、OFFや
ボリューム調整が難しくなった方
スイッチの切り忘れを
するようになった方
集音器のスイッチを
押し続けられなくなった方
だけど
何とか自力で使いたい方。
【楽聴】は
そんな方の為にと開発した
自立とプライドを守る
集音器です。
わたしは
耳の遠い方の選択肢を
増やしたくて
この【楽聴】を開発したのです。
わたしには
今年101歳になった
母がおります。
母は90歳を越えた頃から
耳が遠くなり
耳穴形や耳掛形
ポケット形など様々な補聴器を
取っ替え引っ替え
使って来ました。
もちろん
集音器も
いろいろ使って来ました。
だけどこの数年
そのどれもが
合わなくなりました。
補聴器で
最初に起きた大きな問題は
ハウリングです。
母の顎関節は
永年使ってきた為か
人並み以上に動きます。
その為
折角装着したイヤホンが
直ぐ外れてしまうように
なったのです。
おまけに
スイッチの切り忘れを
するようになったのです。
おかげでハウリングの音が
ピーピーピーピー
家中に
鳴り響くようになったのです。
それでわたしはそのたんび
注意したのです。
「お母さん、鳴ってるよ!」
「補聴器が外れてるよ!」
「スイッチを切り忘れてるよ!」って。
だけど、駄目だったんです。
「鳴ってるよ!」って
いくら注意したって
本人にはその「ピーピー」が
聞こえていないのです。
「外れてるよ」って
注意したって
直しても直しても
自然に外れて来るのです。
「切り忘れてるよ」って
注意したって
母は忘れたくて
忘れてるんじゃないのです。
だからいくら注意したって
直る筈も無く
ただ
母のプライドを
傷つけるだけだったのです。
おまけに寄る年波
母は細かい手作業が難しく
なりました。
スイッチのON、OFFや
ボリューム調整が
出来なくなったのです。
手を耳元へ持って行くことも
難しくなりました。
補聴器を自分で装着することが
出来なくなっても来たのです。
もちろん
わたしが側にいればその都度
付けてやったり
直してやったりもしたのです。
母も、「付けて頂戴」って
わたしに頼んでいたのです。
だけどわたしは
根っからのめんどくさがり。
言われる度に立ち上がり
付けてやったり
直してやったりするのが
だんだん
面倒になってきたのです。
そして
頼まれても、鳴っていても
嫌な顔をして
放って置くようになりました。
「聞こえなくたって仕方が無い」
と、わたし自身が
諦めてしまったのです。
その結果
母はわたしの顔色を
見るようになりました。
付けてもらうことを
躊躇し始めたのです。
おまけに
付けても付けなくても
差がなくなっても来たのです。
そんな訳でとうとう
母は補聴器を使うことを
諦めました。
「私には
みんなのしゃべっている事が
少しも分らない!
誰か通訳して!!」
最初こそそう言って
存在を誇示していた母ですが
それも
いつの間にか止みました。
母はいつの間にか
みんなの話の輪から外れ
難しい顔ばかり
するようになったのです。
母の
あの「やさしい笑顔」が
見られなくなったのです。
「何たる事をしてしまったのか!
可哀想な母をほっとけない!」
そう反省したわたしは
母が自分で使える
母に合った補聴器を
と、探し回った挙句
結局無くて
仕方なく作り上げたのが
この集音器【楽聴】なのです。
わたしは
あの「やさしい笑顔」を忘れ
難しい顔をしている母を
見ているのが
ただただ辛かったのです。
集音器【楽聴】を得て母は
会話と笑顔を取り戻しました。
【楽聴】があるだけで
周りにいる者が
母に聞こえているかどうかを
気にしながら
話すようにもなったのです。
【楽聴】はただ手に取って
耳に当てれば聞くことが出来
置きさえすれば
自然にスイッチが切れる集音器です。
スイッチ操作がいらないので
切り忘れがありません。
タクトスイッチを
使った集音器のように
スイッチを
押し続ける必要もありません。
集音器本体を
体から離して置けるので
ハウリングもありません。
音量も上げられます。
自分で持っても
人に持ってもらっても
使えます。
わたしは【楽聴】を
母のように
市販の補聴器が
合わなくなった方に
自分の力で使って頂けたらと
思っています。
そして
市役所や病院の受付
駅や銀行福祉施設などでも
耳の遠い方との交流に
使って頂けたらと
考えているのです。
それが
耳の遠い方の自立を助け
プライドを守るのだと
考えています。