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昨年2月の
朝日新聞の声欄
 
北九州市の主婦・杉本令子さんの
『声』が載っていました。
 
81歳の方の
切ない切ない『声』でした。
 
 
 
長寿って
ちっともめでたくない。
 
「『介護に疲れた』84歳夫を絞殺
容疑の81歳妻逮捕」
 
1月19日の朝刊を読み
私でなくてよかったと思いました。
 
私の夫は87歳、もう6年余
病人の状態です。
 
介護保険は
 
単身で病気の高齢者の世話で
精一杯なのでしょう。
 
高齢の病人でも
 
家族が同居
または近くにいれば
 
その人たちが
面倒を見るという大前提で
 
保険料は
ばっちり天引きされても
 
介護保険の給付は
手が回らないのが現状でしょう。
 
被害者には妻もいて
娘も近所にいる恵まれた環境
 
と、一見思われますが
81歳の老妻には
 
24時間同じ屋根の下にいて
心休まる時間は無かったでしょう。
 
私もすぐに82歳
わかるわかる。
 
犯罪者になりたくないだけの
冷めた気持でいるから。
 
病人の訴えを
 
苦しかろう
自由に動きたいだろう
 
などと思って聞いていたら
 
とても24時間6年3ヶ月は
務まりません。
 
右の耳から左の耳に
 
「うんうん」と言うだけで
過ごしているから
 
私は犯罪者にならないで
済みました。
 
63年連れ添い
 
何とか人生の大団円を
無事に迎えることが出来れば
 
という願いでいっぱいです。
 
長寿って
ちっともめでたくない!
 
心の叫びです。
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今年は春から
 
先生のお宅へご無沙汰を致し
本当に申し訳ございませんでした。
 
先生は、今年の猛暑でも
熱射病になりませんでしたか?
 
3月11日午後の東日本大震災の
あの日本中が震え上がった大惨事
 
先生はどうしておられましたか?
 
富山の太郎様ご夫妻は
帰っておられたのでしょうか?
 
あの日からテレビを点ければ
大震災のニュースで持ち切りです。
 
宮城県の気仙沼の1町が
そっくり押し流されるのを見て
 
私は唯
呆然としてしまいました。
 
私の家の嫁の実家は
気仙沼の外れでしたので
 
今回は難を逃れて幸いでした。
 
先日
 
先生が食卓で
太郎さんご夫妻やヘルパーさん達に
 
面倒を見て頂いているところを
夢に見ました。
 
本当に懐かしかったです。
 
次に私達の近況を
少しばかりお話しいたします。
 
私は
猛暑が続いた7月に
 
家の中で
熱中症にかかってしまいました。
 
飲むのも嫌、食べるのも嫌で
 
主人の車で
病院へ連れて行ってもらい
 
点滴を打ってもらっては
家へ帰って寝るだけの日が
 
丸4日続き、7、8月は
ずっと寝込んでしまいました。
 
10月になって
やっと体調が戻り
 
デイサービスへも
行けるようになりました。
 
今年は主人も
体調を崩してしまったので
 
思うように
ブドウの手入れが出来なくて
 
出荷することが
出来ませんでした。
 
次に
友達の近況をお知らせします。
 
T.Hさん
昨年の春
ご主人様が逝去なされ
 
ご本人も手足のしびれが治まらず
車いすの生活のようです。
 
K.Tさん
ここ1か月前から何回電話しても
留守で
 
近くの親戚へ行って様子を聞いたら
朝8時ごろゴミ袋を持って行き
 
そこで転んで動けなくなり
直ぐ救急車で鰍沢病院へ入院
 
股関節の手術をしてもらい
そのまま入院していました。
 
9月15日の朝のことだった
そうです。
 
ご主人もずっとデイサービスへ
通っていたようですが
 
独りきりではいられないので
老人ホームへ預けられたそうです。
 
ほんとうに
お気の毒なことと思いますが
 
私達もいつそのようなことに
なるか分かりません。
 
主人と2人で3日ほど前に
お見舞いに行ってきましたが
 
昨日退院して来たと
電話をもらいました。
 
N.Mさん
やっぱり動けなくて家族から
 
外へは絶対出ないように
言われているそうです。
 
N.Mさん
年中腰が痛くて
と言っていますが
 
それはやはり
老人病に連なっていると思います。
 
T.Mさん
前にご報告した通りです。
 
太郎さんご夫妻には別にお手紙をと
思いましたが
 
先生とご一緒に見て下さいませ。
先生もお身体をお大切に。
 
                  K.S

昨年の
 
母と70数年前の教え子
6人組とのお楽しみ会。
 
それは
 
103歳を間近にした
母にとっては無論のこと
 
90歳を間近に控えた
教え子の皆さんにとっても
 
最後の機会だったのです。
 
それなのに私は
 
皆さんの日に日に変わる体調や
『残り時間』も考えず
 
大震災だからと
取り止めてしまいました。
 
あれから1年
 
母の入院は長引き、教え子の皆さんにも
いろんなことが起こりました。
 
そして、お楽しみ会は
今年も中止になってしまいました。
 
多分もう開かれることは
ないでしょう。
 
去年の秋
 
幹事役のK.Sさんから母に
寂しい手紙が届いたのです。
 
出来る時に、万難を排して
やっておくことの大事さを
 
わたしは今、痛感しています。
母と70数年前の教え子
6人組とが
 
長年続けてきた
春彼岸のお楽しみ会。
 
昨年はあの大震災があって
急遽取り止めました。
 
母の住む山梨でも
強い余震がたびたびあって
 
何がいつ起こるか分からず
来て頂いても
 
母を抱えているわたしは
残念ながら
 
方々の身の安全を
保障出来なかったのです。
 
だけど、今になってみると
 
『あの時、開いておけば良かったのに』
と、しきりに悔やまれるのです。
戦前の教え子M.Tさんからは
こんなお手紙を頂きました。
 
『虫の音もにぎやかになり
 
ご無沙汰している内に
いつしか秋本番となっております。
 
先生には
いかがお過ごしでしょうか。
 
先生の真似をして
拙い歌ですが記させていただきます。
 
・天高く稔りの秋に師の君の
   百三歳を祝うしあわせ
 
・世に稀な百三歳のご長寿を
   祝い上げます教え子われは
 
・お子達の孝養受けて今日ここに
   百三歳のご長寿祝う
 
ほんとにおめでとうございます。
 
僅かですがお祝いを
同封させていただきます。
 
どうぞ
世界一を目指して
 
お体ますます
大切になさってくださいませ』
 
 
戦時中の教え子Y.Sさんからは
 
『満103歳
お誕生日おめでとうございます。
 
猛暑の夏、如何おすごしかと案じながら
ご無沙汰致しておりました。
 
お変わりなく
お過ごしでいらっしゃいますか。
 
この冬は
厳しい寒さになりませんように!
 
ご自愛下さいませ』
と、封書で頂きました。
 
 
孫嫁・ナコちゃんのお母さんからは
 
『厳しかった暑さもやっと終わり
朝夕はすっかり秋の気配でございます。
 
お変わりなく
お過ごしのことと存じます。
 
今月はお誕生日を
お迎えになられますね。
 
私と1日違いと伺い
とても嬉しく思っています。
 
我が家の庭には今
白い萩が咲いています。
 
乙女様のお庭は如何でしょうか。
 
どうぞ毎日を
 
有意義にお過ごし下さいますよう
お身体くれぐれもお大切に・・・と
 
心より念じ上げます。
かしこ』
 
と頂きました。
 
 
わたしが言うのもなんですが
母は本当に幸せ者です。

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