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103歳の誕生日を前にして
 
母は多くの方々のご訪問や
手紙での励ましを頂きました。
 
本当にありがたいことです。
 
 
画家のH.T氏には
『ぜひ、103歳の先生に見て頂きたい』と
 
氏が描かれた『道喜院本堂天井画集』を
ご持参頂きました。
 
 
はつらつシルバーの方々を
百寿舎にご案内下さったS.Tさんからは
 
『飛来乙女様 こんにちは!
 
私は先日
O町愛育班の研修でお目にかかり
 
先生の今までの人生そのものとお姿に
深い感動を覚えました。
 
また、介護をされておられます
長男さんを中心にした
 
ご姉妹の結束に感心致しました。
 
私達が元気な時に
 
家族や世間の人々との絆を
どのように作り上げておくべきか
 
教えて頂きました。
 
もうすぐ
 
103歳を迎えられますことは
大変喜ばしい限りでございます。
 
本当におめでとうございます。
 
私達は今日
 
はつらつシルバーの勉強会で
お伺いしますが
 
私達のよいお手本の先生から
何か一つでも
 
これからの生き方を
学んで帰ろうと思います。
 
寒さが厳しくなります。
 
お身体には
 
くれぐれもお気をつけて
お過ごしください』
 
と、手紙と手作りの
ベレー帽を頂きました。
 
 
昔、一緒にマンドリンをやっていた
S.Yさんからは
 
『飛来先生
 
先月、愛育班員研修会で
笑顔の先生とお会い出来
 
とても嬉しかったです。
 
今回はまた
 
はつらつシルバーの会員として
お伺いできますことを
 
嬉しく思っています。
 
私の気持ちばかりの物ですが
どうぞお使い下さい』
 
という手紙と一緒に
 
『先生は紺色が好きだから』と
マフラーを頂きました。
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昨年の秋
 
2011年10月8日
母は満103歳になりました。
 
まさか母が103歳まで
 
長生きしてくれるとは
思ってもいませんでした。
 
103歳の母の体は
 
歩くのも大変
立っているのも大変
 
ただ息しているだけでも
大変な毎日です。
 
心だって同じです。
 
失われていく記憶に
失われていく言葉に
 
おののき動揺する
毎日です。
 
そして時々
 
「生きてくって本当に大変。
死んだ方が楽かもね。
 
兄ちゃんだって
その方がいいでしょ!」
 
っと、弱音も吐く母です。
 
それでも
多くの方々のご支援のおかげで
 
これと言った
大病を患うこともなく
 
永らく飲んでいた膝痛の薬も
飲まなくて済むようになり
 
毎日が
ほとんど快食快便で
 
103歳なりに
快適な生活を送っていたのです。
『男性介護者早まらないで』
『苦悩の果て事件相次ぐ』
 
『老母や病の妻1人で世話』
『抱え込まず、周囲の人も声かけて』
 
昨年10月の終わりの朝日新聞山梨版に
こんな見出しの記事が載りました。
 
介護が家族にとって
どんなに大変なものか
 
思い知らされる記事でした。
 
山梨ではこの9月
 
悲しい事件が3件
続けて起こりました。
 
新聞には
 
『富士川町最勝寺の町営団地で9月9日
一緒に暮らしていた母親(70)に
 
踏みつけるなどの暴行を加えて
死亡させたとして
 
長男(44)が傷害致死容疑で
逮捕された。
 
長男は3年ほど前から
体の不自由になった母親を
 
介護していた』
 
『9月20日
北杜市高根町長沢で
 
母親(82)と次男(55)の
2人の遺体が見つかった。
 
現場の状況や遺書などから
次男が母親の首を絞めて殺害し
 
自殺したとみられる。
 
次男は数年前からひとりで
母の介護をしていた』
 
『9月23日
大月市御太刀2丁目で
 
70代の夫婦が自宅で
遺体で発見された。
 
遺書などから介護を苦に
練炭で心中を図ったものとみられる。
 
この夫婦も
3年前から夫がひとりで
 
難病を抱えた妻を
介護していた』
 
と、ありました。
 
「何でそんな・・・」
 
と、山ほどの
批判があるだろうけれど
 
やっぱり介護は大変
 
特に、先の見えない
エンドレスの介護は
 
介護される方もする方も
押し潰してしまうのだと
 
条件のまだいい介護をしている
わたしでさえ
 
容易に想像できるのです。

昨年12月のある日の朝日新聞
『弧族の国』に
 
『3人産んでみごとに独り』
というタイトルの記事がありました。
 
『奈良市のマンションで暮らす
中田恵美子さん(80)は
 
日が射しこむリビングの丸椅子で
1日を過ごす。
 
誰とも
話さない日も多い。
 
空を眺めながら
思いついた言葉を書き留める。
 
≪からすたちよ
 
窓辺に集まって
騒ぎ立てておくれ
 
みんなに知らせておくれ
私が腐乱死体になるまえに
 
みごとに独りになりました
3人も子供を産んだのに≫
 
夫は10年近い闘病生活の末
7年前に死去。
 
長男は外国在住
長女は亡くなり次女とは疎遠だ。
 
近所とも
深い付き合いはない。
 
死ぬのは怖くない。
 
みとってほしいなんて
とんでもない。
 
でも、発見されるまで
時間がかかって
 
迷惑かけたら嫌やから
・・・・・・

雛祭りの晩
わたしは母に

娘たちに
電話をするよう勧めました。
 
だけど
 
「やっぱり、雛祭りだね。
誰もいないや」
 
めんどくさがる母をやっと説き伏せ
電話をした翔子や芽衣子はおらず
 
他の2人の姉妹も
わたしの妻も電話には出ず
 
母は結局この晩
 
わたし以外の誰とも
話せなかったのです。
 
 
 
1日のほとんどを
ベッドの中で過ごしている母には
 
わたし達が行かない限り
話し相手がいないのです。
 
そんな1日がどんなに長く
 
どんなに寂しく
どんなに辛いものか!
 
母は入院以来
『寂しい』とか『辛い』とか
 
そんな言葉を
吐いたことはありません。
 
だけど、わたしは母の
 
「もう、そういう時期は過ぎた」
という言葉の中に
 
ベッドの中でただ1人
 
誰かが来てくれるのを
ひたすら待ち続けた母の
 
歯を食い縛って耐えた日々の
辛さを思ったのです。
 
「もう、そういう時期は過ぎた」
 
そうして母はもう
待ちくたびれてしまったのです。

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