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富山のわが家は
40年ほど前に出来た
新興?住宅地の中にあり
200坪以上ある、前の宅地は
家が建てられぬまま
貸し農園になっています。
そこでは
わたしと同じ頃に家を建て
同じ頃に子供を育て
同じ頃に勤めをやめた
近所の友人達が
畑作りに精を出しています。
みんな
これといった仕事が無く
家族の為にと頑張れるのは
この畑仕事くらいしか
無いのです。
そんな中の1人・B君が
ある日
摘み菜をたくさん
持って来てくれました。
「女房がさ
そんなに作らないでよ。
作ったってどうせ
食べられやしないじゃないって
言うんだよ。
女房はね
もともと野菜嫌いでさ
俺が一生懸命作ったって
料理しないし食わないんだよ。
だから、俺
女房のいない昼間
おしたしにして食ってんだよ。
だけど
やっぱり食い切れなくてね。
捨てるのはもったいなし
可哀想だし・・・
可哀想だし・・・
折角、育てたんだし
育ったんだもの」
っと、こぼしたのです。
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男は、子供の時から
『家族の為に働くぞ!』
って、決意しているものです。
小学校の2年か3年になった
わたしは
毎年
秋になると山へ
しばっ栗やアケビを
秋になると山へ
しばっ栗やアケビを
採りに行くようになりました。
台風の翌朝には
風で落ちた渋柿を
拾いに行くようにもなりました。
拾いに行くようにもなりました。
家にはもちろん
栗や柿の木があったのですが
わたしにとっては
外から採って来ることこそが
大事。
『男の使命は、家族の為に
他所から、何か
食べ物を採って来る事』
と、そう固く
思い込んでいたのです。
だから、わたしは
まだ笑んでもいない
しばっ栗の
薄黄色い実を採って来て
「しばっ栗、採って来たよ!
お母ちゃん!!!」
と、得意になって
差し出したのでした。
今考えれば
味も何も無い
ただ水っぽいだけの
未熟な栗だったのですが
母はそのたんび
嬉しそうに
「よく採れたわねえ!
これ、初物よ。
ほんとに美味しいわ!」
ほんとに美味しいわ!」
と、渋皮を
爪の先で擦り落として
食べてくれたのです。
わたしは、そんな
嬉しそうな母の顔を見るたんび
何か、男の務めを果たしたようで
誇らしい気持になったのでした。
「ここはもう、ゴーストタウン。
昔は本当に繁盛しててね
応対に困ったくらいなのよ。
ああいう日を経験しているから
今が本当につらいの。
こんな日が来るなんて
夢にも思わなかったわ」
わたしが
縫製を頼んでいる洋品店の
80近い奥さんとの会話は
毎度、この
嘆き節から始まります。
それから、奥さんは毎度
気を取り直すように
言うのです。
「でもね、わたしは
女だからまだいいの。
洋服の直しだって
頼まれるし
それより何より
外に出る機会があるのよ。
民舞もあるし、カラオケもある
仲間がいるのよ。
それに比べたら
男なんて駄目駄目
救いようがないの!
仕事がなくなったら
もうどうにもなんない!
家ん中に籠っちゃって
ご飯が出来るのを、ただ
待っているだけ。
『たまには外へ出たら』って
言うんだけどね。
横のつながりがないから
出て行くとこがないのよ。
男なんて、いくら
おっきな顔、していてもね
いざとなったら
さっぱり意気地がないんだわ」
と、奥さんは
ご主人のいる奥を
気にする様子も無く言い放つのです。
奥さんの話を聞きながら
わたしは
10年後の自分の姿を
毎度
想像しているのです。