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今日もまた 人形ケルトの おしゃべりに
独り暮らしの 吾は楽しむ
人形ケルト
真性4女が母の無聊を慰めようと
プレゼントしたおしゃべり人形
真正4女夫婦と母の頭文字を取って
ケルトと名付けました
わたしが辛いのは
こんな母の歌を見つけたとき。
『独り暮らしの 吾は楽しむ』
だなんて
母の健気さに涙してしまう
わたしです。
いい年をした男が母親に
こんな寂しい思いをさせていて
お恥ずかしい限り、汗顔の至りです。
若かったわたしは
父母が老いることなど
想像もせず
学校を出ると直ぐ
遠く離れた富山で生活を始めました。
そして今・・・
わたしは
若い日のこの判断を
ちょっぴり後悔しているのです。
そして
わたし自身の老後も
ちょっと心配しているのです。
わたしの子供たちも
学校を出ると直ぐ
わたし達から遠く離れて
生活し始めたのです。
寂しさを歌う母の歌です。
じくじくと にじむ鼻汁 抑えつつ
ひがな一日 新聞はなさず
屑篭の 中まで捜して 見つけたる
この雑記張 私の宝
子供みな 遠く離れて 住む故に
話し相手は 声なきメール
京に住む むすめまごらの 写真見て
いずれも健康 吾身幸せ
朝なさな 期待をかけて 覗き見る
郵便箱に 見えたぞ封筒
この歳で
何の不満もないし不便も無い」
母は会う人毎にそう言います。
だけど、母の心には
死を身近に生きる辛さや哀しさが
いつもよぎっているのです。
人の病や死・・・
わたしは母に
身近な人の病いや死を
知らせたくはないのです。
母がどうしても
わが身に置き換えて
しまうからです。
だけど
やっぱり・・・
知らせないわけにも行かず
いつも悲しませているのです。
死を思う母の歌です。
自分とは 二つ違いの 利根川氏
永久に旅立ち 吾身を思う
時来れば 否応なしの 別れかな
止めるすべなし いとしき人よ
会葬者 多数の中に 吾もいて
読経聞きつつ 吾が死を思う
痛む身は 思いながらも 家事万端
不行き届きを ただ嘆くのみ
軽やかに 歩いてみたい この老躯
あの世に着くまで 現状維持か
夜もすがら 眠れぬままに ベッド上
雑誌開けど 読む気になれず
雑念に 振り回されて 今宵また
眠れぬ夜を 如何に過ごさん
歌ノート・・・
「百寿舎」の
展示物を整理していて
母の歌ノートを見つけました。
平成16年から書き始められた
そのノートには
老いを生きる母の
辛さや哀しさが歌われておりました。
そしてまた
年毎に進む母の衰えが
字の震えや曲がりとなって
写し出されておりました。
衰えを歌う母の歌です
朝食が 済めば間もなく 居眠りに
新聞持つ手は 神経麻痺か
町に出て ウインドに映る わが姿
腰の曲がりを 見るも疎まし
もろもろの 集いの席に 出てみても
話にそえぬ つんぼの吾は
たまに会い 地名人名 忘れ果て
話も出来ぬ 老いの悲しさ
一歩二歩 歩くことさえ ままならぬ
この身にとりて 除草は無理か
吾既に 旅は不能の 身に老いて
昔なつかし 広告見るのみ
除草
わたしが実家に帰る度
必ずやるのが除草。
除草剤を撒いたり
草刈機を使ったり
わたしは
慣れない仕事をやるのです。
ちょっと気を許すと
庭や花畑は
あっという間に草ぼうぼう。
だからわたしは仕方なく
帰るたんび、除草するのです。
母が
草取りを出来なくなって
近所の小母さんに頼むようになって
近所の小母さんが出来なくなって
シルバーセンターに頼むようになって
それも出来なくなって
除草が
わたしの仕事になりました。
最初の内こそ座り込んで
鎌で取ったりもしていましたが
とてもとても
そんなことで済む話ではないのです。
突き出たお腹で息苦しいし
腰は痛くなるし
足もしびれて来るし
指だって痛くなる。
嫌々ながらのわたしに
やれるものではなかったのです。
しかも困ったことに
時間がかかります。
せっかく実家に帰っても
母と話す時間がなくなるほど
時間がかかるのです。
それでとうとう
除草剤や草刈機を使うように
したのです。
「除草剤は
土地や作物に悪いし
草刈機じゃあ根が取れないし
そんなやり方じゃあ駄目!」
っと、自分でやれない母が
たびたび文句を言います。
だけど、やるのはわたし。
母の文句なんて
聞いてなんかいられません。
「庭や花畑に
作物なんて作らないでしょうが!」
とか何とか打て返しをしつつ
わたしは
わたし流を続けているのです。
でも・・・
自分でやるようになって
家屋敷を守ってくれていた
母のありがたさを
思い知ってもいるのです。
実家の草取り
今はわたしがしています。
「庭やお花がきれいで
緑がいいですね。
富士山が真正面に見えるし
景色が最高!」
「いえいえ草ぼうぼう
お恥ずかしい限りで・・・
ほんとに行き届かなくて・・・
花畑なんてもう酷いもの」
初めて来られた方と
母の会話です。
わたしは
こんな会話を傍で聞きながら
ちょっと
不満があるのです。
庭の手入れをしているのは
このわたし。
花の手入れをしているのは
このわたし。
忙しい実家との行き来の中で
これでも
一生懸命やっているつもり。
たとえ母でも
「草ぼうぼうで・・・」などと
軽々しく
言って欲しくないのです。
「お母さん
やってんのは僕なんだからね!」
わたしは時々
文句をいうのです。
そんな時母は
「ごめんごめん。
そんなつもりじゃないんだけどね。
つい
口から出ちゃうのよ」
母はそう言って
口の所為にするのです。