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「兄ちゃんに報告したっけ?」
母が
電話をかけてきました。
「全く嫌んなっちゃうのよ。
自分の馬鹿さ加減が
ほとほと嫌になってるの!
今だって兄ちゃんとこに
電話が
かけられないんだもの」
と、母が愚痴り始めました。
「何が馬鹿なのよ!
こうやってちゃんと
かけて来れたじゃない」
と、わたしは励ましを言いました。
「いえね
そりゃあ
かけるにはかけたわよ。
だけど、電話帳見てかけたのよ。
嫌んなるのはそのこと。
兄ちゃんとこの番号なんか
昨日まで『そら』で言えてたのよ。
それが
今日は言えないの。
私は1日1日
馬鹿んなっててるのよ」
と、母が愚痴りながら沈んで行きます。
母とのやり取りで
「母が馬鹿になっててる」のは
よく分ったのですが
「報告」の中身は
一向に分らないままなのです。
母の話は前置きが長い。
「結論を言え、結論を!」
と、せっかちだった
父がそう言って
何度も注意したくらい
長いのです。
母は
本題に関係ない
途中の出来事まで話すので
肝心要の結論に
なかなか行き着来ません。
「だって・・・
初めから順序立てて話した方が
分り易いと思うんだもの」
母はそう言って
弁解するのですが
聞く方は大変
どうしてもイライラが募ります。
前置きが長いのは
父が亡くなってからも
変わりません。
父の役割は今
わたしが
引き受けているのです。
だけど、わたしは父親似
せっかちなのは
父に勝るとも劣りません。
「やあねえ、兄ちゃんは!
あんまり急かすから
言うことを
忘れちゃうじゃあないの」
と、母が嘆くくらい
せっかちなのです。
だから
母には申し訳ないけれど
忙しい時にはどうしても
「ちょっと、いい加減にしてよ!」
と、そう言ってしまう
わたしなのです。
独り住まいの母を
毎日
誰かしら訪ねて来てくれます。
それでも、たまには
誰も来ない日があります。
そんな日には
「今日は誰も来なかったよ。
電話も無かったし
かけて来たのは
やっぱり兄ちゃんだけ」
日に数度、わたしがかける
ご機嫌伺いの電話口で
母が報告します。
「富山に行くと
私を訪ねてくる人がいないからね」
同居を勧める
わたしの申し出を断って
母が一人暮らしを続ける理由は
このことに尽きます。
若い時から
大勢の人たちと交流して来た母は
人に会うことを
何よりの楽しみにしています。
それなのに
富山では知る人もなく
話し相手はわたしと妻だけ
誰も母を訪ねて来ません。
母には
それが何より耐え難いのです。
だけど、可哀想に・・・
住み慣れた土地にいてさえも
白寿を過ぎた母を訪ねたり
電話をかけたりしてくれる人は
やっぱり目に見えて
減って来ているのです。
それでも
夕方になると
門灯を点け
玄関の明かりを点ける母。
「やっぱり、誰か来ると悪いからね」
夜になど
誰も来ないことが
分っている筈なのに
母はそう言って灯りをともし
誰か来るのを待っているのです。
「カーテンが開いてたから寄ったよ!」
そう言いながら
母を訪ねてくれる方が
大勢います。
みんな
特別な用事はないのですが
ふらっと寄って
おしゃべりして帰るのです。
外出の少なくなった母にとっては
これが無上の楽しみ
世間との大事なつながりに
なっています。
母の家は
県道から
ちょっと上がった高台の一軒家。
だから、道を通る人からも
青垣越しに
居間のカーテンが見えます。
カーテンが開いていれば
母は在宅で起きている。
閉まっていれば
不在か就寝。
開けっ放しや閉まりっ放しなら
「何かあったぞ?!」
と、みんな
カーテンで想像しています。
そして
「いるんなら
ひとっしゃべりして行くか」
と、安否確認も兼ね
みんな忙しいのに
寄ってくれるのです。
だから母は
朝起きると
イの一番にカーテンを開け
昼寝する時には閉め
目覚めるとまた開けるのです。
母はこうやって
来る日も来る日も
カーテンを開けたり閉めたり。
居間のカーテンは
母にとって
「幸福の黄色いハンカチ」
なのです。
わたしが実家に帰ると
居間から
Wさんの
大きな声が聞こえて来ました。
「おらんとうの顔や名前
忘れてもらっちゃあ
困るじゃんけ!
おらんとうは
先生たちに
仲人してもらっとうじゃん!」
Wさんが大声で
繰り返し口説いています。
母が
Wさんご夫妻を見忘れたことを
嘆いているのです。
「お父さんも耳が遠くなって
困ったもんじゃん。
先生の言うことも聞かんで
自分だけ話すんだもの。
先生の話だって
ちったあ聞けし!」
奥さんが隣で
80歳をいくつか超えた
Wさんの袖を引いてたしなめます。
「でもね、わたしは本当に幸せ者。
こうやってみんな
いつまでも来てくれるんだもの」
見忘れたことを詫びながら
母もまた
感謝の言葉を繰り返しました。
Wさんは
桃源郷マラソンで有名な町の
桃農家のご主人。
母が今年満百になるのを
伝え聞いて
忙しい摘果の合間に
来てくれたのです。
ご夫妻は結婚して50年。
何だかんだ言いながら
毎年こうやって
遠方から訪ねて来てくれます。
母は本当に幸せ者
仲人冥利に
尽きるというものなのです。