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最近の母には、冴えてる日と
冴えていない日とがあります。
例えば、人間関係がはっきり分る日と
分らない日とがあるのです。
7月に入って
ナコちゃんのお母さんが
お中元を送ってくれました。
「お母さん!
本名さんが
お中元送ってくれたよ。
開けて見たら?」
と、わたしが母に
お中元を渡しました。
「本名さんて誰だっけ?」
と母が聞きました。
「本名さんはいつも
花送ってくれたり
葉書くれたりしてるじゃない。
あの本名さんだよ
ナコちゃんのお母さん!」
「ナコちゃんって誰なの?」
「ナコちゃんは聖のお嫁さんじゃない」
「聖って誰なの?」
「聖は芽衣子の息子じゃない。
お母さんの孫」
「ええっ!
芽衣子には男っ子がいたの!
ちっとも知らなかった。
じゃあ、本名さんて誰なの?」
と、母の質問は元へ戻り
人間関係が最後まで
つながらなかったのです。
かと思ったら、
翌日の母は全く別人。
「この牛肉のしぐれ煮
本当に美味しいわね。
どうしたの?」
と、母が聞くので
「ナコちゃんのお母さんからの
お中元だよ、お中元。
本名さんが
送ってくれたんだよ、昨日」
と、わたしは答えました。
「そうなの
本名さんが送ってくれたの。
私は何にも
してやれないんだけど
本名さんたら
どうして、いつもいつもこんなに
良くしてくれるのかしら。
聖やナコちゃんも
元気にやっているのかしらねえ。
遊びに来てくれると
いいんだけど」
と、昨日とは打って変わって
母は冴えていたのです。
母は日替わりで
冴えたり冴えなかったり。
歳を取るってことは
そういう日々の
繰り返しなんですよ、みなさん!
繰り返しなんですよ、みなさん!
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『やったりもらったりの楽しみ』
と言えば
先日、介護施設に
入所されている奥さんと
話をしました。
奥さんは認知症と
診断されていますが
普段の会話には困りません。
その奥さんが言われたのです。
「私はね、お友達から
何にももらわないの。
誰かが、飴をくれるって言っても
断るの。
その代り
お友達にも上げないの」
と、言われたのです。
「だって、奥さん
やったりもらったりって
飴玉ひとつでも楽しいでしょうに
どうして、しないんですか?」
と、わたしは
思わず聞き返しました。
「そりゃあ、楽しいわよ。
だけど、息子が言ったのよ。
『もらい借金』になるから
止めとけって!」
と、奥さんがちょっと寂しそうに
だけど、息子の言う事だからと
納得しているように答えました。
『もらい借金』
そんな言葉があることを
わたしは今まで
全く知りませんでした。
息子さんが何故
『もらい借金は止めとけ』と
飴玉のやり取りを禁止したのか
わたしは
その理由を知りません。
だけど、可哀想に奥さんは
息子さんの言葉に従って
やったりもらったりの
ささやかな楽しみを
失くしていたのです。
奥さんが使う
シルバーカーの中には
わたしが持参した
飴玉の袋が入っています。
わたしは
みんなから独り離れ
部屋の片隅で飴玉を舐めている
奥さんを想像して
これが母だったらと
胸が詰まったのです。
世の奥さん方は
やったりもらったりが大好き。
「この奈良漬、私が漬けたの。
ちょっと食べてみて?」とか
「このかりんとう
鶴屋のかりんとうなのよ。
美味しいから持って来たの
食べてみて?」とか
「この塩飴変ってるわよ、お1つどう?」
とか何とか
たいした物でなくても、奥さん方は
やったりもらったりが大好き。
旅行に行く時だって
プールに行く時だって
こんな、ささいなやり取りも
楽しみにして行くのです。 「俺はゆんべ
酔っ払っちゃってさ
愚痴話ばっかり
しゃべっちまって
大切な事話すの
忘れてた」
盛り下がった2次会の
翌朝早く
わたしはタケちゃんの電話で
起されました。
「俺はね、見たんだよ。
死んでく親父が俺の方見てさ
ニヤって言うか
ニコって言うか
ともかく頬を緩めたのを
見たんだよ。
弟たちも嫁さんたちも
一応、臨終に間に合って
みんなで、親父のベッド
囲んでいたんだよ。
だけど、親父は
俺の方だけ見てね、頬緩めたんだ。
おまけに
俺の方に、手まで
伸ばそうとしたんだよ。
だから俺は
『親父、分ってるよ!
いろいろありがとう。
俺は親父に生んでもらって
ほんとに感謝してる。
ほんとにご苦労さんでした』
って、親父の手握って言ったんだ。
そして、そのまま
1分経ったか2分経ったか
親父は俺に
手を握らせたまま逝ったんだ。
もちろん、弟たちゃ
寂しかったと思う。
折角集まって来たのに
最後の最後
親父に無視されたみたいに
なっちゃったからね
弟たちゃほんと
やり切れなかったと思うんだ。
だけど、親父にゃあもう
ひとりひとりの手、握るなんて力
無かったんだと思う。
でもね、無かったんだとは
思うんだけれど、俺は嬉しかった。
親父を看た俺の、永年の苦労が
報われた気がしたんだよ。
俺は器のちっちゃな男だからね
親父が俺だけに笑った、手出した
それ位の事がもの凄く
嬉しかったんだ。
分るかなあ、俺の気持ち。
馬鹿みたいな話だと
思うだろうけれど
これからお母さん見送る
飛来にさ
悔い残さないように、もうちょっと
頑張ってもらおうと思ってさ
朝っぱらから
電話したってわけさ」
タケちゃんはそう言って
電話を切ったのです。
電話を切ったのです。
「表立ってもめたんは
49日の法要ん時さ。
精進落しが終わって
坊さんが帰った途端だよ。
弟たち6人が徒党組んでさ
『財産分けろ』
って、俺を取り囲んで
49日の法要ん時さ。
精進落しが終わって
坊さんが帰った途端だよ。
弟たち6人が徒党組んでさ
『財産分けろ』
って、俺を取り囲んで
言い出したんだ。
『親父を
施設に入れちゃったんだから
跡取りだ、何だは関係ない。
法定相続で均等に分けろ!
それが嫌なら、裁判だ!』
って、言い出したんだ。
『兄さん!
長い事、ご苦労さんでした』
の、ひと言も無しにだよ。
そんなこんなで
俺んとこは今
骨肉相食む裁判中
まったく嫌んなっちゃうよ。
俺はね
弟が『家継がせろ』って言った時
譲っときゃあ良かったと思ってる。
俺の人生
どんなに楽だったかって
そんなこと
しょっちゅう想像してんだよ
もう、後の祭りだけどね」
延々と続いた
タケちゃんの
『親父を
施設に入れちゃったんだから
跡取りだ、何だは関係ない。
法定相続で均等に分けろ!
それが嫌なら、裁判だ!』
って、言い出したんだ。
『兄さん!
長い事、ご苦労さんでした』
の、ひと言も無しにだよ。
そんなこんなで
俺んとこは今
骨肉相食む裁判中
まったく嫌んなっちゃうよ。
俺はね
弟が『家継がせろ』って言った時
譲っときゃあ良かったと思ってる。
俺の人生
どんなに楽だったかって
そんなこと
しょっちゅう想像してんだよ
もう、後の祭りだけどね」
延々と続いた
タケちゃんの
他人事で無い、暗く重たい話
いつもは陽気で楽しい
わたし達の2次会は
どん底まで盛り下がり
お開きとなったのです。