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タケちゃんの愚痴話

最後はやっぱり
親の介護と財産分けの話。

どこにでもある
身につまされる話でした。



「俺が家継いで

一番ピンチだったのが
親父の介護問題。

お袋が先に逝ってたからね
親父は独り暮らしをしてたんだ。

だけど

お袋が逝っちゃった
寂しさからかな

急に呆けちゃってさ
独り暮らしが無理になったのよ。

それで、俺んとこへ
と、思ったんだけどなんせ狭いし

子供の進学時期と
重なっちゃったからね。

女房が
そっちばっかり気にしてさ

正直な話
親父の来るのを嫌がったんだ。

それで
弟達んとこ、聞いたんだけれど

そこだって
同じような状況

ただ、面倒だ
煩わしいだのの1点張り。

『ええ?俺があ?
女房がいい顔しないのよ』

って分けよ。

俺の女房も同じだけれど
一緒に住んだことが無いからね

女房たちには

親父に対する愛情ってもんが
ないんだ、愛情ってもんが。

それに引きずられた
弟たちだって、同じ

『親看るの
家継いだ兄貴の責任だろうが!』

の、1点張り。
 
育ててもらった親の恩
全部忘れちゃっているんだよ。

結局俺は、つて頼って

親父に、実家近くの施設に
入ってもらったんだ。

それから5年かな
親父は結局そこで逝ったんだ。

俺は毎月
実家に帰るたんび

親父んとこ、見舞ったんだけれど

女房や子供たちゃあ、ほんと
数えるほどしか行かなかった。

弟達んとこも同じさ。

とどのつまりは
情が通って無かったってこと。

そりゃあ葬式んときゃあ
みんな泣いたさ。

『ええっ!嘘だろ?』
 
 
って言うぐらい
みんな、涙流してたよ。

あれ位
流す涙があるんなら

親父が生きてるうちに
少しは流して欲しかった

って、俺は思ったよ。

まあ、一族円満の為に

そんなこたあおくびにも
出さんかったけどね

俺の腹ん中にゃあ、永年の
鬱憤溜まってんだよ、鬱憤が」
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「家継いだ俺の

1番の被害者は
何てたって、俺の子供たち

って、俺は思ってる。

近所の友達と遊びたい盛りに
まいたび

田舎に連れて行かれて
軟禁状態

手伝いたくも無い
農作業手伝わされて

蛇や蛙にゃ、脅かされ

行き帰りにゃあ
車酔いで吐きまくってさ。

子供たちにゃあ
田舎や実家は鬼門

いい思い出なんか
何にも無い筈なんだ。

それにさ

俺が実家通いだから
子供たちゃあ

俺と、俺の田舎以外
どっかに行ったなんて思い出

ほんと
数えるほども無いんだ。

ほんとんとこ言って
1度あったか、2度あったか。

あたあ全部

友達んちの旅行に
くっついて行ってたんだ。

可哀想に、子供たちゃあ

いっつも友達んちの親子愛
横から見ていたんだと思う。

ほんと
寂しかったと思うのよ。

たまにゃあ、甘えられる
親とも行きたかっただろうに

赤ん坊ん時から俺の
実家通いを見てるからね

最初っから諦めてたんだと思う。

『どっか、連れてって』
なんて、言わなかったもの。

そのお陰かどうか

俺には子供が4人
いるんだけどね

家継ぐって言う奴
ただの1人もいないんだ。

家継ぐことの大変さばっかり
見せちゃったからね。

『俺はごめんだ』

って、最初から思ってんだと思う。

俺はね

俺の生家
一生懸命守って来たけどね

残念ながら
ほんとんとこは

俺で最後だろうって諦めてんだ」

 
 
 
タケちゃんに言われてみると
確かにそう。
 
わたしの子供たちだって
同じような子供時代を送り
 
今、同じ様な態度を
取っているのです。

「俺はね

君らと同じで

産めよ増やせよで生まれた
世代だからね。

男ばっかしの7人兄弟
生存競争が激しくてさ

親父が

『タケオに家を継がせる』

って言った時、3男坊の弟が

『俺に継がせてくれ!』

って、名乗りを上げたんだ。

だけど、親父が

『長男のタケオに継がせる』

って、言い切って
結局俺が継いだんだ。

だけど

実家から遠く離れて
仕事持った俺が

家継いだってことは
ほんとうは大変なことだった。

夏休みや冬休みはもちろん
ちょっとでも休みが続きゃあ

女房子供引き連れて
俺はいつだって実家通い。

兄弟んとこが

やれ家族キャンプだ、やれ家族旅行だ
言ってる時に

俺んとこは
そういうの、一切無し。

ただひたすら実家、帰って

野良仕事手伝ったり
共同作業に出たり

間無しだった。

飛来んとこだって
同じだったろうが、そういうの!」

と、タケちゃんは
わたしに同意を求めたのです。

 

「それにさ。

ご先祖様から受け継いだ
土地なんて

例え売れたって、そう易々と
手放せるもんじゃないんだよ。

跡継いだ俺は

自分が楽する為なんかで、土地
手放すわけにゃあ行かんのよ。

だって
俺は長男

ちっちゃい時から家、守るように

手堅く躾けられてんだ。

もしも
大義名分も無しに手放したらよ

『タケオが遊び呆けて
財産減らした、家潰した』

って、親戚や近所中から
末代まで言われる事になるんだよ。

俺はそんな話

嫌んなるほど聞かされて
育ったんだ。

嫌でも、禁欲的に
自制的になっちまうんだよ。

だから、仮に誰かが

買いたいって来ても

俺にゃあ

土地売るなんてこと、最初から
出来ない相談だったんだ」



確かに
タケちゃんの言う通りです。

わたしの
江戸末期の御先祖様が

貧しい田舎の生活なのに
真夏でも白足袋はいて

毎日髪結いさんを呼ぶような
奥さんをもらって

『飛来家傾けた、潰した』って話

わたしも
聞かされて育っているのです。

こういう昔話って
跡取りには、プレッシャー

ボディーブローのように
効いているのです。

「地域を維持してく為の
共同作業がやたらあるんだよ」

と話す、タケちゃんを囲んだ
2次会のメンバー
 
思い当たる話に
ただただ頷くばかりでした。



「こういう、田舎の作業って
分っているとは思うけれど

やらなきゃ、やらんで済む
サボったら、サボったで済む

っていうような

都会のみたいな
甘っちょろいもんじゃないんだよ。

自分でやれないんなら
人を頼んででもやれ

それが無理なら

補償金出せ、出不足金出せ
って、強要され

それとも、権利
放棄するかねって脅される

紙にゃあ書いてないが、地域の掟
そういう類のもんなんだ。

みんなだって分るだろ?
俺の辛さ!

生み出すもんも、達成感も無い
こんな空しい事に

俺は延々
先の見えないまんま

跡取りだからって、時間や金
使って来たんだよ。

もちろん

人のいなくなった田舎を
守って行く為にゃあ

そういうことが大事だ
ってこたあ

俺にだって、嫌んなるほど
分ってるんだ。

だけど

分っていてもさ
遠くに住んでて

一々対応しなきゃあならん
俺にとっちゃあ

こういうのって、ほんと
空しい、やりたくない事だった。

だけど

いくら空しい
やりたくない事だって言ってもね

やっぱり俺は
やらん分けにゃあ行かなかった。

俺には、親を

田舎に置いてってるって

引け目があったからね

そういうやりたくない事も
止むを得ず、万難を排して

1つ1つ
こなして来たんだよ。

自分のやりたいことも我慢して
家族にも無理させて

1つ1つ
こなして来たんだよ。

ここまで言やあ、分るだろ?

損得だけで考えたら
田舎の跡取りなんて

まったく
やってられない事だった」

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