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「これじゃあ
生きる病人も死んでしまうわ!」
巡回の婦長さんに
母が苦情を言いました。
最近の母は時々
歯に衣を着せぬ
物言いをするのです。
「看護士さんたち
どうして
あんなに言葉が荒いのよ!
まるで
怒鳴られているみたいで
不愉快
この上無しだったわ。
私はそんな言われ方を
した事がないのよ!」
母が婦長さんに
追い討ちをかけました。
すると
「そうなのよ!
この病院の看護士ったら
ほんとに荒っぽいのよ。
やたら怒鳴るし
動かすんだから!」
脳梗塞で入っている
隣のベッドのご婦人も
母に援護射撃をしたのです。
「そうですか。
それは申し訳なかったですね」
婦長さんが言いました。
「この病院の患者さんは
お年寄りが多いんですよ。
お年寄りは
耳が遠いですからね
聞こえるように
大きな声で話すんですよ。
だけど
それで不愉快になったんなら
申し訳なかったですね。
折を見て
看護士達に注意しておきます。
ほんとにごめんなさいね!」
婦長さんは流石に大人
そう言って
母に謝ってくれました。
わたしは
母が怒鳴られた場面には
いなかったのです。
わたしが会った
看護士さん達は
甲州弁
丸出しだったけれど
皆さん甲斐甲斐しく
世話をしていたのです。
その甲州弁だって
患者を安心させる為に
使っていたのだと思います。
だから何故
母がそんな事を言ったのか
分りません。
母に聞いても
いつの、誰の話なのか
はっきりしなかったのです。
朝が来ました。
午前6時
母はいつものように
機嫌よく起きました。
起きると直ぐ
「食事は未だかしらねえ」
と、これまたいつもの調子です。
長い事待って
朝ご飯になりました。
「美味しい、美味しい」
と、母は口では言ったのですが
なかなか箸が進みません。
結局
2/3ほど食べただけで
終わりました。
未だ本調子ではないのか
と、ちょっと心配したのですが
後で聞けば
『おかゆご飯』が
気に入らなかっただけ
いつものような普通のご飯が
欲しかっただけだったのです。
だから母は
この食事の後
わたしが持ち込んでいた
バナナやカステラを
たらふく
食べ込んだのです。
この食欲こそ
母の活力の根源。
いつもと変らぬ母に
わたしはまた
少しほっとしたのです。
わたしは
看護士さんに
ベッドを用意してもらい
母の隣で横になりました。
母は
4人部屋に入っていました。
患者は母を入れて3人
わたしを入れて4人が同室です。
わたしは
疲れ切ってはいましたが
どうにも
眠りにつけませんでした。
同室者の寝息や寝返り
うめき声やベッドの調整音
それに加えて何故か
サラサラサラサラ
水音までするのです。
病室の中はベッド毎に
カーテンで
仕切る事は出来ます。
だけど
誰も
カーテンを引いていません。
しかも
ドアも開けたまま。
だから
遠くの病室の音まで
全部入って来るのです。
「誰か来てくれ~」
っと、叫び続ける男性の声。
「いたたたたぁ
もっと優しくやってよ!」
っと、女性の金切り声。
廊下からは
そんな声も聞こえて来たのです。
そんな音の一つ一つが
耳に障って
わたしは
益々目が冴えて来たのです。
だけど
耳の遠い母には
全く関係ありません。
微動だにせず
熟睡しておりました。
母のトイレは結局2回。
案の定
ポータブルトイレでは
用が足せず
わたしに手を引かれ
本トイレに行ったのです。
午前0時半
姉達ふたりを
市内のホテルへ送り
わたしは母に付き添う事に
したのです。
ここは
完全看護の病院だけれど
わたしは
母のトイレが心配でした。
母はポータブルトイレが
嫌いな人。
本物の洋式トイレでなきゃあ
どうしても
駄目な人なのです。
しかもここは
西も東も分らない病院の中
おまけには母は
『意識消失発作』の後
未だ半分意識朦朧状態
母1人では
トイレに行けない筈なのです。
「看護士さんを呼べば」
と、言っても
頼み事の出来ない母の事。
絶対
呼ぶ筈が無いのです。
そして多分・・・
その結果は
『お・も・ら・し』。
その結果の
母の落胆と傷心。
わたしは
それを想像したのです。
だからわたしは
付き添う事に決めたのです。
夜中、11時45分。
目覚めた母と
わたしが話している所へ
長女と次女が
飛び込んで来ました。
中央線の最終で
東京からやって来たのです。
76歳と72歳の姉達が
リュックを背負ったり
鞄を掛けたり
息せき切って
駆けつけて来たのです。
心なしかふたりは
いつもより
しっかりしています。
「守衛さんがね。
もう時間外だから
入れないって言うのよ。
だけど
折角東京から来たんだからね
どうしてもって
強引に入れてもらったのよ」
長女が入って来るなり
自慢しました。
「お母さん!
わたし誰だか分る?
眸よひとみ、ひ・と・み・・・」
と、次女が聞きます。
次女は10数年前に
くも膜下出血をして
その時
同じような質問を
わたし達に
されていたのです。
「分ってるわよ、眸でしょ。
それより
兄ちゃんの
お世話になっちゃってね。
兄ちゃんは
ホントに優しくてね。
女でも気がつかないような
気遣いをしてくれるのよ」
姉達の思いとは
関係なく
母はいつものように
わたしを褒め上げたのです。