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先生方が
母を訪ねて来て下さいました。
その時
1篇の詩を教わりました。
100歳を超えた母の気持を
そのまま表したような詩で
わたしは
胸が詰まるほど
感動してしまいました。
日々衰えていく
わが身に気付き
持て余し
わたし達子供に
老いの身を
託している母の気持が
そのまま
書き込まれていたのです。
わたしの感動をお分けしたいと
ご紹介致します。
手紙 ~ 親愛なる子供たちへ ~
原作詞:不詳 日本語訳詞:角智織
年老いた私が
ある日
今までの私と
違っていたとしても
どうかそのままの私のことを
理解して欲しい
私が服の上に
食べ物をこぼしても
靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを
教えたように見守って欲しい
あなたと話す時
同じ話を
何度も何度も繰り返しても
その結末を
どうかさえぎらずに
うなずいて欲しい
あなたにせがまれて
繰り返し読んだ
絵本のあたたかな結末は
いつも同じでも
私の心を平和にしてくれた
悲しい事ではないんだ
消え去ってゆくように見える
私の心へと
励ましのまなざしを
向けて欲しい
楽しいひと時に私が
思わず
下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのを嫌がる時には
思い出して欲しい
あなたを追い回し
何度も着替えさせたり
様々な理由をつけて
いやがるあなたと
お風呂に入った
懐かしい日々のことを
悲しい事ではないんだ
旅立ちの前の
準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい
いずれ歯も弱り
飲み込むことさえ
出来なくなるかも知れない
足も衰えて
立ち上がる事すら
出来なくなったなら
あなたが
か弱い足で立ち上がろうと
私に助けを求めたように
よろめく私にどうか
あなたの手を握らせて欲しい
私の姿を見て悲しんだり
自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを
知るのはつらい事だけど
私を理解して
支えてくれる
心だけを持っていて欲しい
きっとそれだけでそれだけで
私には勇気が湧いてくるのです
あなたの人生の始まりに
私がしっかりと
付き添ったように
私の人生の終わりに
少しだけ付き添って欲しい
あなたが生まれてくれたことで
私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変らぬ愛を持って
笑顔で答えたい
私の子供たちへ
愛する子供たちへ
花粉症の季節になると
前兆も無しに
ツーと水っ洟が流れ出るのは
誰でも経験する所です。
母は花粉症ではありませんが
時々水っ洟が出ます。
かんでも出ないのに
何故か不意に出ることがあるのです。
水っ洟が出ると
母はもちろん拭きます。
だけど、傍から見ていると
イライラするほど手間がかかるのです。
母は、側に
ティッシュボックスがあっても
先ず服やズボンのポケットに手を入れ
ちり紙を探します。
食事時など
エプロンのポケットを探し
エプロンの下のカーディガンの左右のポケットを探り
ズボンのポケットを探しても
ポケットその物が無くて・・・
結局どこにも無くて・・・
それからやっと、椅子の横にある
ティッシュボックスに手を伸ばすのです。
ティッシュを手にしてからがまた大変。
引き出した何枚ものティッシュを
一枚一枚丁寧に重ね
それをまたゆっくりゆっくり二つにたたみ・・・
それからおもむろに拭くのです。
その長い間に、水っ洟が
垂れ下がったりするのです。
「お母さん!
最初っからティッシュボックスのを
取りゃあいいんだよ!!
それに
たたまなくたっていいんだよ。
たたんでる間に
垂れるでしょうが・・・」
わたしは母の垂れ下がった洟を見るのが嫌で
文句を言うのです。
だけど、母は平気の平左。
「だって、きちんとたたまなけりゃあ
気持ちが悪いのよ」
母はそう言って
垂れ下がった洟を気にしているのかいないのか
しっかりとたたみ続けるのです。
人の価値観なんて、ほんと
個人的なものだと痛感する今日この頃です。
電話口で、母が聞きました。
「29日。
急用が出来なきゃ、29日の予定」
行けなくなる事を考え
わたしは予防線を張りながら答えます。
「29日って、今日は何日?
そう、22日なの。
それじゃあまだ1週間もあるじゃない。
遠い向こうのことよね」
母ががっかりしたように言います。
「だって、今日は
瑠璃(真正4女)が行くでしょうが。
行けば、3、4日はいてくれるんだから
正味3日だよ、間空くのは」
「でもね、兄ちゃんは別格なのよ。
兄ちゃんと娘っ子たちとじゃあ
重みが違うのよ。
私は何てったって
兄ちゃんが来てくれるのが待ち遠しいのよ」
そんなやり取りを
わたしの傍で聞いていた妻が言いました。
「さすがはお母様
息子心をくすぐってる。
だけど、瑠璃ちゃん達には
聞かせられないわね」って。
そうなんです。
世の中は男女平等、雇用機会均等法の時代だけれど
母は明治生まれ。
やっぱり長男中心の考え方です。
母の面倒をよく見てくれる姉妹達には
「やっぱり聞かせられないな」
と、わたしも思ったのです。
「あっれ、まあ!
先生・・・
私のことが分るだけえ!
やだよう、分るだけえ!」
久し振りに訪ねて来たT子さんが
びっくりしたように言いました。
わたしと母が居間でしゃべっていると
同じ部落のT子さんが恐る恐る
ベランダから顔を覗かせました。
それを目ざとく見つけた母が
言ったのです。
「あらっ! T子さん、珍しいじゃないの。
中へ入って、お茶でもどう?」って。
「あっれ、まあ!
先生、私のことが分るだけえ!
やだよう、分るだけえ!」
「そりゃあ分るわよ
T子さんじゃない。
あんまり久し振りだから
忘れても不思議じゃないんだけどね」
母がちょっと皮肉を込めて答えました。
「いえね、先生!
K子さんがね
先生のとこへ行ったら「あんた誰?」って
言われたって言ったんですよ。
だから先生はもう、人の顔が分らないんだって
そう言ったんですよ。
そうですか、先生は私のこと
覚えてくれていたんですか」
T子さんはお茶を飲み始めても
まだ信じられずに、そう繰り返したのです。
老いたりとは言え、母には
まだ皮肉をいう気力があります。
「あんた誰?」と言った母は
K子さんにもっと頻繁に来てもらいたくて
皮肉を言っていたのです。
だけど、母は
100歳を超えています。
だから
言われたK子さんは即座に
「先生がボケた!」と
短絡してしまったのです。
そして
それを伝え聞いたT子さんも
「そうか、ボケたのか!」と
素直に信じ込んだのです。
世の中には、信じ込みたくなるような
状況ってあるものです。
でも・・・
本人にとっちゃあ
「ふざけないで!」って言いたくなる
状況でもあるのです。
(ボケって言葉を
使っちゃいけないんですが・・・)