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「乙女さんが倒れました。
左手がだらっとしていて
力が入らないし
体も支えられず
斜傾してしまいます。
意識も朦朧として・・・
救急車を呼びましょうか?」
平成21年9月8日
午後6時15分
富山の自宅に
ヘルパーさんの会社から
連絡が入りました。
「救急車をお願いします。
入院は
K病院にして下さい。
診断がついたら
芽衣子に電話して下さい。
私は直ぐ山梨に走ります。
連絡は
芽衣子を通じてやりましょう」
わたしは
息を呑むのも忘れ
そう頼んで
電話を切りました。
わたしはその時
母が脳血栓か何かで倒れた
と、思ったのです。
平成21年9月8日
満101歳の
誕生日の丁度1ヶ月前
母が倒れました。
病名は
『意識消失発作』です。
運のいい事に
毎晩来てくれている
ヘルパーさんがいました。
しかも幸いなことに
救急車も直ぐ来てくれました。
が、病院は駄目。
何故か
たらい回しされました。
住んでいる町の病院に断られ
隣町の市立病院に
搬送されたのです。
でも
母の『意識消失』は
5分ほどで終わり
病院に着いた時にはもう
曲がりなりにも
聞いたり話したり
出来るようになっていました。
ただ
左手と左足が脱力していて
よだれを流しているような
状態だったのです。
でも有難いことに
1泊2日の入院で
無事
退院することが出来ました。
年相応の健康体。
頭の断層写真にも
心電図にも血液にも
取り立てるような問題が
診られず
ただの
「起立性貧血のようなものだ」
と、診断が下ったのです。
数え101歳の春
母はとうとう
断髪を決意したのです。
母の手が
後頭部に回らなくなって
5年目。
結髪が難しくなった
母が
ああだ、こうだ言い始めて
5年目。
わたしが
断髪を勧め始めて
5年目の春のことです。
母101歳4ヶ月の春
「意外に似合ってるわね。
私はカールした前髪が好き。
これって天然なのよね」
これが
断髪した母の第一声。
みんなの褒め言葉に
いちいちうなずき返す
満足げな母。
5年も迷っていたのが
不思議なくらいの
断髪式だったのです。
「これで
化粧の時間も短くなるし
朝ご飯の時
みんなを待たせなくて済むわ」
と、母はそうも言ったのです。
だけど
わたしは違いました。
顔を歪めてまげを結う
そんな
苦しそうな母を見たくない。
そう思って勧めて来た
断髪だったけれど
切ってしまうと
わたしの方が
しょんぼりしてしまったのです。
母が
まげを結い続けられるように
何の手も
打てなかった事が
やたら悔やまれたのです。
と、時々
母が言うようになりました。
「自分でやれないんなら
切っちゃったら!」
とか何とか言い返しながら
わたしは時々
結ってあげるのです。
『八頭身美人』
今から50年以上も昔
伊東絹子が
ミス・ユニバース世界大会で
入賞した時
一世を風靡した言葉ですが
最近はもう死語
トンと聞きません。
だけどその心は
「小顔願望」として
女性の心に
脈々と受け継がれています。
真正4女の瑠璃など
写真を撮るたんび
人より少し下がって
ポーズをとる位です。
だけど母は違います。
母のコンプレックスは
『小顔』なこと。
前列右が母
小顔といえば小顔ですが
今風に考えれば
少しも変じゃあないのですが・・・
子供の時から
それが嫌で嫌で
仕方なかったのです。
だから今も
「髪をまとめて頂戴」
と、言いながら
「そんなにつめたら駄目
ふっくらと、ふっくらと」
と、言い続けて
うまく出来ないわたしを
苛々させるのです。
三つ子の魂100までも。
母は今もなお
子供の頃のコンプレックスを
持ち続けているのです。
皆さんに
ひとつ頼みがあります。
私の髪形を提案してください。
私も歳のせいか
いよいよ
腕が伸びなくなって
結髪に不自由を感ずるように
なりました。
思い切って断髪にしようかとも
思うのですが
私にはどんな髪型が似合うのか
分からないのです。
だけど本当は
今の髪形にも
未練はあるのです。
それに
みなさんからいただいた
沢山の髪飾りが
廃物になるかと思うと
悔しいやら可哀想やら。
使わなくとも
側においておいて
時々手にとって見るのも
楽しいかも
などと思ったり
心は
いろいろ揺れ動くのです。
先日もつい口を滑らせて
「誰か貰い手はいないかな」
などと言ってしまったら
兄ちゃんが
「他人の使ったものなど
この時代
貰い手なんかいるものか」
と、言うのでもうがっかり
ほんとうに、つれない言葉。
それにしても
今時はみな
断髪だからね・・・
とにかく
私の髪形を考えて
提案してください。
これは数年前
母が
孫たちに送った手紙です。
だけど、残念ながら
母を満足させるような
提案はありませんでした。
というより、多分母は
若い時から続けてきた髪形を
変えたくなかったのだ
と、思います。