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サホ達、どこにもいないのよ。
朝ご飯、一緒に食べようと思っているのに
どこにもいないのよ。
黙って帰っちゃったのかしら」
わたしがかけた電話の向こうで
母がむかっ腹を立てています。
母の所へ一昨日来てくれ
昨日帰った孫夫婦のことを怒っているのです。
「そんなこと言ったって
サホたちゃ昨日帰ったじゃない。
夕べメールくれたんだよ
楽しかったって。
お母さんと撮った写真だって
送ってくれたんだよ。
だから、サホたちゃ
昨日の昼過ぎにゃあ帰ったんだよ」
「じゃあ、夕べ
一緒にご飯食べたのは誰なのよ」
「誰なのよたって
僕に分る筈ないじゃない。
だけど、サホたちゃ夕方にゃあ
もう帰っちゃってたんだ。
ちゃんとメールくれたんだから」
「メールって何なのよ。
そう、手紙みたいな物なの。
だけどそれ、私にはくれてないわよ」
「いいんだよ、くれなくたって。
パソコンなけりゃあ、受け取れないんだから。
今、サホのメールを読んであげるから
ちゃんと聞いててよ。
じゃあ読むよ
読むから聞いててよ。
おばあちゃんといっぱいお喋りして
楽しいひとときを過ごしました。
お母さん、ちゃんと聞いてる?
聞いてんなら
ウンとかスンとか合いの手入れてよ。
じゃあ読むよ。
おばあちゃんといっぱいお喋りして
楽しいひとときを過ごしました。
おばあちゃんがとても元気で安心しました!
また近いうちに寄らせて頂きます。
ユウト、サホ
ね、お母さん分かった?
こう言って来たんだからね
サホたちゃ絶対挨拶して帰ってるよ。
だからお母さん
ヘルパーさんか誰かと
間違ってんじゃないの?」
「ヘルパーさんなんかと
間違わないわよ。
ともかく、私は
夕べ誰かと一緒にご飯食べたのよ。
今朝だって
いつもより早く目覚めたんだけれど
起しちゃあ悪いと思って、ずうっと
ベッドに入っていたのよ。
それでも7時半に起きて
今まであっち捜したり、こっち捜したり。
10時半になってやっと諦めて
今、ご飯食べ始めた所なの」
「何で3時間も探し回るのよ。
家ん中、そんなに広くないじゃない」
「百寿舎へ行ってみたり
トイレ覗いたり
サンルーム覗いたり
2階の入口覗いたり
2度も3度も捜してみるんだから
それ位かかるのよ。
じゃあ結局
私がボケちゃったって言うこと?」
「ボケたんじゃないさ
ちゃんぽんになっただけさ。
気にするこたあないよ、お母さん。
早い人は
60代だってそう言う事があるんだよ。
僕だってそうさ。
今誰と、何話してんだか
分らないんだから」
「そんなこと言ってくれたって
嬉しくなんかないわよ。
まったく嫌になっちゃう
自分が馬鹿になっちゃって。
やっぱり一昨日の晩のことと
ごっちゃになっちゃったのかしらね。
もう、私駄目なのよ
ほんとに終わり、もう終わりだわ」
母がため息の上に
ため息をつきました。
母は一昨日の晩
孫夫婦と食事をしたのです。
だけど
その孫夫婦が昨日帰ったことを忘れて
朝から探し回っていたのでしょう。
こんなことが母に、時々
起こるようになっています。
歳を取ると段々、出来事の後先が
はっきりしなくなって来るものです。
その上、その出来事全部が
ごっそり抜け落ちてしまうこともあるのです。
それが分っているのに、わたしは
母を追い詰めてしまいました。
それで今、また反省しきり
うなだれているのです。
母の耳が遠くなって・・・
わたしとの会話も少なくなりました。
同じ事を何度も言わされることに
わたしが少し疲れて来たのです。
認知症や寝た切りになって
話したくても話せない事を考えれば
よっぽどまし
感謝しなけりゃあ罰が当たる。
と、そう思い直してはみるのだけれど
やっぱり駄目。
わたしは苛立って語尾を荒くしてしまったり
単語だけの答えをしてしまったりするのです。
まあ
ちょっとだけ弁解させてもらえば・・・
単語的な答えでないと母だって
聞き取れなくなって来てはいるのです。
でもね、わたしは孝行息子
決して諦めている訳じゃあありません。
「そんならお母さん!
美味いもんでも食べますか。
芽衣子が送ってくれた『月の砂漠饅頭』
美味いお茶でも入れてさ」
健啖家の母のこと
これならまだ何とかなると
わたしは食い物で交流を図っているのです。
幸い、母は胃が丈夫
糖尿病の気もありません。
美味い物なら何でもござれです。
「美味いねえ!」
この一言で、母とわたしはまだ
ニコニコ顔で交流できるのです。
母の耳が聞こえにくくなって・・・
新聞やテレビが駄目になって・・・
出歩きが難しくなって・・・
会話が難しくなって・・・
母の笑顔が少なくなって・・・
わたしはもちろん
妻も姉妹も困惑しています。
それで皆、様々な提案をしたのです。
「お母様!
それじゃあ、今流行の
算数の問題集でも解いてみますかねえ。
それとも、ぬり絵をしてみるとか・・・」
何か熱中できる物をと
妻が提案したのです。
だけど
母は笑顔も見せずに言いました。
「もう、そういうことは面倒
疲れるばっかりなのよ」
母はにべも無く断ったのです。
「お母さん!
ピアノのとこまで行くのが大変でしょう。
これだったら、炬燵の上で弾けるわよ」
真正4女が小型の電子ピアノを
買い込んで来ました。
自動伴奏できる優れものです。
だけど、母は1、2度弾いただけで
止めてしまいました。
「だって、鍵盤がピアノより小さくて
運指出来ないのよ。
それにね、スイッチが多すぎて
どこを触ればいいのか分らないのよ」
そう言って、一向に弾かなかったのです。
「お母さん!
これならどう、運指に関係ないから」
諦め切れない真正4女が
今度は木琴を持ち込んで来ました。
だけど、母が木琴に触ったのは
持ち込んだその時だけ。
やっぱり使ってくれなかったのです。
「お母さん!
お母さんはさあ、漢字が得意だから
この本で実力試してみない?」
楽器が駄目だと知った3女が
「読めそうで読めない間違いやすい漢字」を
持ち込んで来ました。
今、大売れの出口宗和さんの漢字本。
誤読で有名な首相と競わせ
自尊心をくすぐる作戦です。
だけど、読んでチェックを入れたのは
10数ページだけ。
これも本棚に収まってしまいました。
「お母さん!
絵手紙やってみない?
これって、今凄く流行っているのよ。
上手いも下手もないの
感じたままに描けばいいんだから」
絵手紙を何十年もやっている次女が
道具一式持ち込んで来ました。
だけど母は、次女と一緒に桃の絵を
たった1枚描いただけ。
一式お蔵入りになりました。
子の心を知ってか知らずか
今の母はあくまで素っ気ないないのです。
だけど・・・
考えてみれば当然のこと。
皆が提案したのは
どれもこれも一人ですること。
母が求めているのは、人との交流なのにです。
母の笑顔が好き。
マザコンのわたしは
母の笑顔は
世界一だと思うのですが
「お母さん!
最近笑顔が減ったね」
言わずもがなのことを
ある日、わたしは言ってしまったのです!
「笑顔が減った、って言われてもねえ・・・
笑う種がほんとに無いのよ。
みんなが話してたって
話の半分も聞き取れやしない。
みんなが笑ってたって
何笑ってるんだか分らないのよ。
電話だってそう
何言ってるんだかちんぷんかんぷん。
全く蚊帳の外なのよ。
それにね、みんなと話したくたって
話題がないの。
だってそうでしょ
新聞読んだって、少しも頭に入らない。
テレビ見たって
しゃべるのが速過ぎて聞き取れない。
字幕だって
読み切れない内に消えちゃうのよ。
それに・・・
私は日がな一日
ここに座っているだけなのよ。
外に出られないからね
人が来なけりゃ
近所のことだってさっぱり分らない。
これじゃあ話すも何も
笑うも何もありゃあしないのよ。
私の人生、もう終わりなのよ」
わたしの一言を呼び水に
母が真顔で愚痴り始めました。
気持は分るけれど・・・
母の笑顔がなけりゃあ
わたしはやっぱりつまりません。
耳が遠いってことは
ほんと、辛いことだと思います。
当然ながら、周りが何を話しているのか
分らないからです。
わたしがアメリカは
テネシー州の鍾乳洞に潜った時のことです。
日本人はわたしと友人の二人だけ
後は米国人のツアー客。
ガイドはもちろんアメリカ人。
暗がりの中を進みながら
ガイドが次々にジョークを飛ばし
ツアー客の大笑いが
暗がりの中でこだまします。
でも、わたしには
何を話しているのか、何で笑っているのか
まったく分からなかったのです。
「俺のジョークが分かってるのか?」
少し明るい所へ出たとき、ガイドが
突然振り返ってわたしに聞いたのです。
ツアー客もみんな振り返って
わたし達を見ています。
わたしは「NO」ともいえず、曖昧な
薄笑いを浮かべるしかありませんでした。
大の大人がまったく情けない様。
薄笑いを浮かべるしかなかったわたしは
屈辱感で一杯になりました。
母は今、毎日が鍾乳洞の中の
わたしなんだと思います。
わたし達はただ
「分かってるの?」って
聞くだけじゃあ駄目なんです。
何かしてやらなきゃあ
母のプライドは守れない。
疎外感や屈辱感の奈落に
突き落としたまんまだと思うのです。
繰り返し説明してやるのも1つ
何か補聴器を考え出してやるのも1つ。
それは結局、自分にも来る
その日の為の準備だとも思うのです。