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耳が遠いってことは
ほんと、辛いことだと思います。
当然ながら、周りが何を話しているのか
分らないからです。
わたしがアメリカは
テネシー州の鍾乳洞に潜った時のことです。
日本人はわたしと友人の二人だけ
後は米国人のツアー客。
ガイドはもちろんアメリカ人。
暗がりの中を進みながら
ガイドが次々にジョークを飛ばし
ツアー客の大笑いが
暗がりの中でこだまします。
でも、わたしには
何を話しているのか、何で笑っているのか
まったく分からなかったのです。
「俺のジョークが分かってるのか?」
少し明るい所へ出たとき、ガイドが
突然振り返ってわたしに聞いたのです。
ツアー客もみんな振り返って
わたし達を見ています。
わたしは「NO」ともいえず、曖昧な
薄笑いを浮かべるしかありませんでした。
大の大人がまったく情けない様。
薄笑いを浮かべるしかなかったわたしは
屈辱感で一杯になりました。
母は今、毎日が鍾乳洞の中の
わたしなんだと思います。
わたし達はただ
「分かってるの?」って
聞くだけじゃあ駄目なんです。
何かしてやらなきゃあ
母のプライドは守れない。
疎外感や屈辱感の奈落に
突き落としたまんまだと思うのです。
繰り返し説明してやるのも1つ
何か補聴器を考え出してやるのも1つ。
それは結局、自分にも来る
その日の為の準備だとも思うのです。