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曲りくねった谷間の道です。
その家々は、この46年間
母の住む町は
県道を歩く人を
たまに
ひとりふたり見るだけの町。
田畑を耕す人を
遠くに
たまに
ひとりふたり見るだけの町。
幼子も、学齢期の子供も
数えるほどしかいない
『若妻会』と名付けられた
親睦会の平均年齢が
60をいくつも超えている
という過疎高齢の町です。
交通機関と言えば
市営のバスが
病院経由で駅まで
日に何度か走るだけですから
老人が出歩く時は
タクシーに頼るしかありません。
だからかどうか
住民達は
大概の事を
電話で済ませてしまい
隣近所に住んではいても
顔を会わせることも少なく
家と家とが
それぞれ孤立
人情厚い田舎の筈なのに
日に日に
寂しくなっていく町なのです。
だけど、母は
そんな過疎の町ではあっても
不便な
寂しい町ではあっても
青空が見えると言うだけで
見知った人が
来るかも知れないと言うだけで
ここが母の都
離れたくないのです。
「私はね
青空が見えないと
駄目なのよ。」
この青空がなきゃあ!
久しぶりの青空に上機嫌の母
富山県宮の山で
実家通いが面倒になった
わたしが
富山での同居を勧めるたんび
母はそう言って断ります。
実はわたし達7、8年前
冬だけ
富山で一緒に暮らした事が
ありました。
「お母さんを
寒い冬に山梨で
独り暮らしさせておくのは
心配だ」
と、姉妹が言うので
来てもらったのです。
わたしも
『妻と合わせて3人
一緒に暮らせば賑やかで
母にとっても
よっぽど楽しかろう』
と考えたのです。
ところが
案に相違して
母は
親子3人の賑やかさよりも
青空を選び
冬だけの同居は
その2、3年だけで
終わったのです。
物忘れの激しくなった
最近の母ですが
富山の冬の
あの暗い空だけは
脳裏に焼き付いていて
離れないらしく
「富山で一緒に住もうよ」
と、脅かし半分に言う
わたしの誘いを
「あの灰色の空が
私には耐えられないの。
それに
誰か家に来た時
誰もいないと悪いもの」
と、母は今でも
言下に断るのです。
新井君のメールです。
同期の皆さんへ
3.11に発生した大震災は
救援を待ちわびる避難者
福島第一原発事故を含め
10日目に入った今もまだ
現在進行形で
TVニュース、新聞から
目が離せません。
国を挙げての復興に
一人ひとりが
覚悟しなければならないようです。
この花を見ると毎年春だ!
と感じます。
散歩道にある
他人の家の白木蓮ですが
今年も満開となりました。
この木蓮が咲くと
約1週間後には桜が開花
2週間後には満開になるはずです。
満開の桜が見られるとき
被災された方々にも
安らぎと少しは笑顔がもどることを
期待しています。
新井
新井君の思いに全く同意
心を痛めています。