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母は
トイレへの行き返り

鴨居にぶら下がって
背筋を伸ばしていました。

その鴨居に
手が届かなくなって

今は

キッチンへの行き返り

鴨居からぶら下げた
腰ほどの高さの手摺で

曲った
背を伸ばしています。

27599717.jpeg
 アンバランスとお思いでしょうが
 これでも
 見やすいようにと気を使っているのです




「こうすれば
背中も伸びるんだけどね」

と、そう言いながら

伸びない背中を
伸ばしているのです。
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数年前

簡単に持ち運びできる
手摺を作りました。

b2446bea.jpeg
 部屋から部屋へ続く手摺
  軽いので簡単に移動できます








母が部屋から部屋へ

これを伝って歩くように
したのです。

母の足元が
覚束なくなった昨年

片側にだけ置いていた
この手摺を

両側に置くようにしました。

「両手を使った方が楽で安心」
と、母が言ったのです。

そしてこの春

「手摺が高過ぎる」
と、母が言うので

足を
10センチ短くしたのです。



そんな状態の母ですが
母はやっぱり人の親。

夜自分の部屋に戻る時

そのいくつかを
わたしの為に片付けるのです。

「兄ちゃんが
夜中につまづいたら困るもの」

と、そう言うのです。

「わざわざ
そんな事をしてくれなくても」

と、わたしが毎朝断るのに

母はやっぱり
毎晩片付けるのです。

それにしても親心って

いくつになっても
変らないものですね。

ありがたいやら、迷惑やら・・・

手摺は毎朝
わたしが元へ戻すのです。

わたしは最近
集音器の開発を始めました。

何故そんな事を始めたのか
友人・Nにメールを送りました。

わたしは
公言することで

開発の気力を維持したい
と、思ったのです。



雪が降ったとは言え
すっかり春めいて来たね。

僕はやっぱり
冬より春の方がいい。

もうちょっとで春
ぼかあ考えただけでも嬉しい!

さて

今日のメールは
季節の話で始めたけれど

本題はちょっと別の話です。

僕らは今、季節で言うと

人生の秋から冬に向かって
生きているよね。

だから僕は

秋はともかく、冬がなるべく
過ごしやすくなるように

今から準備しておかねば
と、考えています。

それで今
「母の為に」と公言して
集音器の開発を始めました。

だけどこれは
母の為だけの物ではありません。

世の中には

僕らみたいな高齢予備軍が
山ほどいます。

だから

僕がやろうとしていることは
僕ら自身の為にもなる

と、僕はそう思っています。

実は昨日も県の主催で

特養老人ホーム
(入所者は65歳以上、平均介護度3.5)
を訪問し

見学やら意見交換やらを
して来ました。

このホームは明るくて清潔

一人当たりの占有面積も広く
素晴らしいホームでした。

しかも

介護士さん達が
自発的にいろんな工夫をしていて

感心することが
山ほどありました。

だけど残念なことに

入所者同士の
コミュニケーションの問題は

やっぱり

解決されていないように
見えました。

皆さんが同じテーブルに
ついているのに

黙ってテレビを観たり
目をつぶっていたり

テーブルに
うつぶせになっていたり・・・

お隣さん同士が
触れ合い、話し合う様子が

少しも
見られなかったのです。

他のホームと同じように
入所者同士の交流がないのです。

もちろん

認知症の方が多いから
と言う事情もあるのでしょう。

だけど僕は

この方たちが
隣同士で語り合うようになったり

歌い合ったり
ゲームをし合ったり

そんな風になったらなあと
訪問するたび思うのです。

じゃぁ何故交流しないのか?

僕は

交流が成り立たない
原因のひとつに

聴力の問題があると思うのです。

人は聞こえないと言うだけで

卑屈になったり
内にこもったりしてしまいます。

ちなみに

このホームで補聴器を付けているのは
入所者50人中5人だけ

皆さんがご高齢であるにもかかわらず
意外に着用率が低いのです。

何故使わないのか?

スイッチ操作が難しいとか
装着するのが難しいとか

付けても
直ぐ外れてしまうとか

ハウリングや物音ばかりで
肝心なことは聞こえないとか

看護士さんに頼むのが
気が引けるとか

その理由は
いくつもあるだろうと思います。

要は

1人1人にとって
使い勝手のいい物が無い

と、言う事に尽きるのだと思います。

僕の母も
いろんな補聴器を使って来ましたが

今はもう
合う物が無いのです。

そんな事もあって

僕は今
集音器の開発を進めています。

上手くいったらお慰み

上手くいかなくても
僕の老化防止にはなるでしょう。

 
日差しが暖かくなった
3月の下旬

人形劇団・おむすび座が

「百寿舎」で
特別公演をしてくれました。

観客はたった1人
母1人

おむすび座の皆さんは
母1人の為にバスを借り切り

東村山市から
わざわざ来てくれたのです。

372877bc.jpeg
 母1人のための公演
  わたしはただただ感謝

 




演目は、玄人はだしの
落語に始まって

想像力が掻き立てられる
貼り絵語りなどなど。

圧巻はなんと言っても
団員総出の人形劇

「ぶす(附子)」

狂言でおなじみのこの演目が
分り易く

しかも
大げさにアレンジされていて

子供たちやお年寄りに大受け
と、言うのも納得できました。

耳の遠い母ですが

出演者や人形の
その大げさな表情や

所作のひとつひとつを
笑い楽しんでおりました。

f9b10356.jpeg
 おむすび座座員ご一同様





おむすび座の団員は
女性ばっかり、総勢7人

去年出来たばかりの劇団ですが
もう20公演もこなしている

今人気急上昇中の
ボランティア劇団です。

この劇団には

真正4女が加わり
長女が人形を提供しています。

とは言え

母1人の為にわざわざ
来てくれるとは!

そのボランティア精神に
わたしは脱帽したのです。

そしていつもの事ながら
女性パワーの炸裂に

日本の高齢社会の
あるべき姿を見たのです。

『母にはもう
電話のベルが聞こえない』

それが分って
わたしは途方に暮れました。

電話が使えないとなれば
わたしにはもう

1日に3度も4度もしてきた
母との馬鹿話が出来ません。

それより何より

母の安否を随時知る
確実な方法がありません。

離れてはいても

馬鹿話が出来たからこその
母との別居

安否確認出来たからこその
母の独り住まいだったのです。

それが出来ないとなれば

独り住まいさせておくわけには
行きません。

富山に来てもらうしかありません。

わたし達夫婦は
それぞれ仕事を持っています。

それを考えれば
来てもらうしかないのです。

例え嫌がっても
連れて来るしかない。

独り暮らしの気ままな生活に慣れ
謳歌してきた母に

借りて来た猫のような生活を
強いるしかないのです。



「朝8時と12時と夜8時の3回
太郎に電話すること」

とりあえずわたしは

ヘルパーさんに頼んで
そう張り紙をしてもらいました。

居間で座っている母の目の前の
茶箪笥にです。

だけど
これが頼りにならなかった。

いくら張り紙をしておいても
母は電話をくれませんでした。

仕方なく

母が必ず座る食卓の上にも
張り紙してもらいました。

だけど
それでも母はくれかったのです。

母の歳になると
視野が狭くなるのかどうなのか

目の前にあって見えてる筈のものが
見えないのです。

そうなるともうお手上げ

1日1回来る
ヘルパーさんを狙って電話をかけ

安否確認するしか
手がなくなりました。

わたしは妹達にも

ヘルパーさんのいる時間を狙って
電話するよう指示したのです。

そうやって3日経ち

わたし達のフラストレーションは
いやが上にも高まりました。

「大丈夫だから、元気だから・・・」

母がいくらそう言っても

好きな時に
母と話せない物足りなさと

安否確認できない
不安とは

わたし達にとって
本当に辛いものだったのです。

そして、5日目

こんな状況に耐えかねた真正4女が
急遽帰郷したのです。

真正4女は文系だけれど
機械音痴の誇りをかなぐり捨て

電話機を散々いじくり回し
苦心惨憺

ボリュームを上げることに
やっと成功

母が何とか自分で
電話を取れるようにしたのです。

まあこうやって

今回の一件は
ひとまず落着したのです。

だけど

母の耳が益々悪くなるのは必定
わたしはその日の為に

今から手を打っておかねば
ならないのです。

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