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「嫌いな人はいたの?」
そう聞かれた母は
「そりゃあいたわ」と答えました。
「いたなあ。
一生を通じて
二人だけ嫌いな人がいたわ」
母はちょっと寂しそうに
遠くを見るようにして言いました。
「一人は・・・・お姑さん。
一緒に笑っていても
目の奥が笑っていないような
人だった。
死のうか、って思ったくらい
いろいろあったもの。
近所や牧の人を集めて
私に聞こえるように
悪口を言うの。
それをまたみんなが
囃すように笑い立てるの。
『鬼嫁!』
そう吐き捨てるように言って
私を睨んで帰る人だっていたわ。
みんな
お姑さんに気を使って
いたんだけどね。
私は辛かった。
もう一人は・・・Kちゃん。
ありもしない噂を
これでもかこれでもかって
流してくれたもの。
噂ってほんとに卑怯
反論の仕様がないのよ。
ただ忘れられるのを待つだけ。
ほんとに辛かった。
でももう
二人とも死んじゃった。
今はもう遠い昔の思い出
ちょっとなつかしいような気分なの」
と、母は言いました。
そう聞かれた母は
「そりゃあいたわ」と答えました。
「いたなあ。
一生を通じて
二人だけ嫌いな人がいたわ」
母はちょっと寂しそうに
遠くを見るようにして言いました。
「一人は・・・・お姑さん。
一緒に笑っていても
目の奥が笑っていないような
人だった。
死のうか、って思ったくらい
いろいろあったもの。
近所や牧の人を集めて
私に聞こえるように
悪口を言うの。
それをまたみんなが
囃すように笑い立てるの。
『鬼嫁!』
そう吐き捨てるように言って
私を睨んで帰る人だっていたわ。
みんな
お姑さんに気を使って
いたんだけどね。
私は辛かった。
もう一人は・・・Kちゃん。
ありもしない噂を
これでもかこれでもかって
流してくれたもの。
噂ってほんとに卑怯
反論の仕様がないのよ。
ただ忘れられるのを待つだけ。
ほんとに辛かった。
でももう
二人とも死んじゃった。
今はもう遠い昔の思い出
ちょっとなつかしいような気分なの」
と、母は言いました。
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「人生で
一番つらかったことは?」
そう聞かれた母は
「戦争」と答えました。
「一番つらかったのは戦争。

教練を受ける
伯母と生き別れした従姉妹です

前列右から3番目が
満州へ行った父です
知っている人が大勢死んだし
食べ物だって
ほんとに無くなってしまった。
若い人が大勢死んで
食べ盛りの子供たちに
食べさせる物がない。
人として、親として
これ以上つらい事はないの。
政治のことは
もう分からないけれど
戦争だけは
二度と繰り返したくない。
『戦争の準備をすることが日本の為』
最近
そんな強がりを言う
政治家が増えてきているけれど
あれは大間違い。
戦争は人を殺すだけ
人なんて救えないの。
被害を受けたり死んだりするのは
いつも弱い者。
だから
憲法九条だけは
絶対守っていって欲しい。
これは私の遺言よ」
母はそう言ったのです。
母の長姉は
長男を学徒出陣で亡くし
ペルーに住んでいた次姉は
日本に留学させていた
幼い子供たちと
生き別れしています。
母もまた父を満州に送り
教え子を戦地に送り出し
亡くしています。
そんな経験を持つ母は
「憲法九条を守る会」
に入っているのです。
一番つらかったことは?」
そう聞かれた母は
「戦争」と答えました。
「一番つらかったのは戦争。
教練を受ける
伯母と生き別れした従姉妹です
前列右から3番目が
満州へ行った父です
知っている人が大勢死んだし
食べ物だって
ほんとに無くなってしまった。
若い人が大勢死んで
食べ盛りの子供たちに
食べさせる物がない。
人として、親として
これ以上つらい事はないの。
政治のことは
もう分からないけれど
戦争だけは
二度と繰り返したくない。
『戦争の準備をすることが日本の為』
最近
そんな強がりを言う
政治家が増えてきているけれど
あれは大間違い。
戦争は人を殺すだけ
人なんて救えないの。
被害を受けたり死んだりするのは
いつも弱い者。
だから
憲法九条だけは
絶対守っていって欲しい。
これは私の遺言よ」
母はそう言ったのです。
母の長姉は
長男を学徒出陣で亡くし
ペルーに住んでいた次姉は
日本に留学させていた
幼い子供たちと
生き別れしています。
母もまた父を満州に送り
教え子を戦地に送り出し
亡くしています。
そんな経験を持つ母は
「憲法九条を守る会」
に入っているのです。
「人生で、一番尊敬する人は?」
そう聞かれた母は
「そりゃあやっぱりお父様!」
と、父をあげました。

あの世でもまた父と結婚をと
82歳の母はウエディングドレスを着ました
「お父様は
ほんとに優しい人だった。
お酒もあんまり飲まなかったし
外泊もしなかった。
外出したって
すぐ帰ってきてくれたし
外の出来事だって
大概のことは話してくれた。
私のおしゃべりだって
最後まで聞いてくれてね
私をちゃんと
対等に扱ってくれたのよ。
子煩悩で
子供たちだって
ほんとに大事にしてくれてね
世間やお姑さんから
私を守り通してもくれた。
私には心配なことが
何にもなかったの。
お父様は
家庭第一だったのよ。
でもね
お父様は
ただ優しいばっかりじゃあ
なかったの。
外じゃあ
「剃刀」って
あだ名された切れ者でね
ほんとに強い人だった。
私はお父様のことを
男の中の男だと
ほんとに思ってる。
だから
生まれ変わっても
わたしは
お父様と結婚したいの!」
と、母は続けたのです。
そうなんです。
わたし達は
父母が言い争うのを
見たことがないのです。
それに
父が母を
しっかり守っていたことも
見聞きして
知っているのです。
そう聞かれた母は
「そりゃあやっぱりお父様!」
と、父をあげました。
あの世でもまた父と結婚をと
82歳の母はウエディングドレスを着ました
「お父様は
ほんとに優しい人だった。
お酒もあんまり飲まなかったし
外泊もしなかった。
外出したって
すぐ帰ってきてくれたし
外の出来事だって
大概のことは話してくれた。
私のおしゃべりだって
最後まで聞いてくれてね
私をちゃんと
対等に扱ってくれたのよ。
子煩悩で
子供たちだって
ほんとに大事にしてくれてね
世間やお姑さんから
私を守り通してもくれた。
私には心配なことが
何にもなかったの。
お父様は
家庭第一だったのよ。
でもね
お父様は
ただ優しいばっかりじゃあ
なかったの。
外じゃあ
「剃刀」って
あだ名された切れ者でね
ほんとに強い人だった。
私はお父様のことを
男の中の男だと
ほんとに思ってる。
だから
生まれ変わっても
わたしは
お父様と結婚したいの!」
と、母は続けたのです。
そうなんです。
わたし達は
父母が言い争うのを
見たことがないのです。
それに
父が母を
しっかり守っていたことも
見聞きして
知っているのです。
「人生で、一番うれしかったことは?」
そう聞かれた母は
「一番と言われると困るのよ」
と、答えました。
「昔のことは
みんな忘れてしまったし
比べようがないのよ。
でもね
師範学校へ入ったことに
始まって
私の人生
うれしいことだらけ。
家族みんなが達者だし
子供たちもみんな仲が良い。
欲のかきっこも
恥のかきっこもしない。
子供たちも
その連れ合いも孫たちも
みんなが
わたしを大事にしてくれる。
わたしの人生
一番うれしいことばっかり!」
母が嬉しそうに言いました。
そう聞かれた母は
「一番と言われると困るのよ」
と、答えました。
「昔のことは
みんな忘れてしまったし
比べようがないのよ。
でもね
師範学校へ入ったことに
始まって
私の人生
うれしいことだらけ。
家族みんなが達者だし
子供たちもみんな仲が良い。
欲のかきっこも
恥のかきっこもしない。
子供たちも
その連れ合いも孫たちも
みんなが
わたしを大事にしてくれる。
わたしの人生
一番うれしいことばっかり!」
母が嬉しそうに言いました。
「人生で、一番頑張ったことは?」
そう聞かれた母は
「その時その時
何でも全力でやってきた」
と、答えました。
「子育てだって
教育だって
愛育活動だって
体操だって
手抜きしたことなんて
一度もない。
大抵の事は
みんな頑張ってきたの。
それは、お父様も同じ!」
30数年前に亡くなった父にまで
話を及ばせる母は
生真面目な全球入魂派。
80年も前の教え子と
今もって
お付合い頂いているのが
その証。
わたしにはそう思えるのです。
そう聞かれた母は
「その時その時
何でも全力でやってきた」
と、答えました。
「子育てだって
教育だって
愛育活動だって
体操だって
手抜きしたことなんて
一度もない。
大抵の事は
みんな頑張ってきたの。
それは、お父様も同じ!」
30数年前に亡くなった父にまで
話を及ばせる母は
生真面目な全球入魂派。
80年も前の教え子と
今もって
お付合い頂いているのが
その証。
わたしにはそう思えるのです。