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「人生で、一番大事なことは?」
白寿を祝う会で
そう聞かれた母は
「誠意をもって生きること」
と、答えました。
「おばあちゃんの性格は?」
そう聞かれた母は
「明るく、粘り強い頑張り屋」
と、答えました。
「くよくよしないで
何でも一生懸命やることが大事。
一度始めたら長く続けることが大事。
それに
誠意をもって事にあたれば
大概のことは解決がつくものなの」
母はそう言ったのです。
生を受けて99年
母は「誠意」をモットーに
一生懸命明るく
頑張って生き抜いてきたのです。
白寿を祝う会で
そう聞かれた母は
「誠意をもって生きること」
と、答えました。
「おばあちゃんの性格は?」
そう聞かれた母は
「明るく、粘り強い頑張り屋」
と、答えました。
「くよくよしないで
何でも一生懸命やることが大事。
一度始めたら長く続けることが大事。
それに
誠意をもって事にあたれば
大概のことは解決がつくものなの」
母はそう言ったのです。
生を受けて99年
母は「誠意」をモットーに
一生懸命明るく
頑張って生き抜いてきたのです。
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秋晴れのある日
「飛来乙女の白寿を祝う会」
を開きました。
平成19年10月8日
母が満99歳になりました。
明治41年
日蓮宗の寺に生まれた母は
父と結婚して1男4女
5人の子供を得ました。
その子供たちが
それぞれ伴侶を得て
一族は12人になり
12人の孫ができて
24人になり
その伴侶とひ孫が加わって
総勢40人。
そのうち
父と義兄は欠けましたが
自称四女が
あらたに加わって
わが一族は現在39名の大世帯。
これに
母の親しい友人が加わって
白寿を祝う会を開いたのです。
母は
生まれてからずうっと
健康に恵まれ
父母や夫に恵まれ
子に恵まれ
婿や嫁に恵まれ
孫ひ孫に恵まれ
友人知人に恵まれ
小金に困ることもなく
家族に
心配かけられることもなく
幸せに、心安らかに
暮らしてきたのです。
「祝う会は人生の集大成
生前葬のつもり。
生きているうちに
みんなに
お礼を言っておきたいの」
と、母が言いました。
「だから
みんなに負担をかけたくない」
母はそうも言って
会の費用をもってくれました。
「飛来乙女の白寿を祝う会」
を開きました。
平成19年10月8日
母が満99歳になりました。
明治41年
日蓮宗の寺に生まれた母は
父と結婚して1男4女
5人の子供を得ました。
その子供たちが
それぞれ伴侶を得て
一族は12人になり
12人の孫ができて
24人になり
その伴侶とひ孫が加わって
総勢40人。
そのうち
父と義兄は欠けましたが
自称四女が
あらたに加わって
わが一族は現在39名の大世帯。
これに
母の親しい友人が加わって
白寿を祝う会を開いたのです。
母は
生まれてからずうっと
健康に恵まれ
父母や夫に恵まれ
子に恵まれ
婿や嫁に恵まれ
孫ひ孫に恵まれ
友人知人に恵まれ
小金に困ることもなく
家族に
心配かけられることもなく
幸せに、心安らかに
暮らしてきたのです。
「祝う会は人生の集大成
生前葬のつもり。
生きているうちに
みんなに
お礼を言っておきたいの」
と、母が言いました。
「だから
みんなに負担をかけたくない」
母はそうも言って
会の費用をもってくれました。
築百数十年の代物
明治の中頃に
建てられたものです。
だから当然
「バリアフリー」
などという発想のない建物で
住むには
まったく不便な家です。
その象徴が上がり端。
土間から畳までの高さ
70センチの上がり端が
50センチと20センチの
2段に分かれていました。
これを百数十年もの間
みんな文句も言わず
ひたすら
昇り降りして来たのです。
十年ほど前
母の膝が悪くなって
階段を4段に直しました。
五年ほど前
その階段で母が転び
片側に手摺を付けました。
そして今年・・・
母の足腰が
もっと弱くなって
全7段に直しました。
もちろん
両側に手摺を付けました。
歴代の階段
左から2段、4段、7段
「もう・・・
何年も使うわけじゃないのに
でも、両手でつかまれるから
ほんとに安心!」
母はそう言って
繰り返し済まながりました。
「転ばぬ先の杖だよ、お母さん!
転んでみんな
寝た切りになるんだからね。
絶対転んじゃ駄目なの!
寝付かれて困るの、誰だと思う?
そうだよ、僕だよ。
僕なんだからね。
お母さんを
絶対転ばさないように
しとかなくっちゃならないの!」
わたしはちょっと意地悪く
言ったのです。
でも
わたしが
本当に言いたかったことは
「最初から
手摺付きの7段にしとかなくて
ごめんね」
ということなのです。
ところが
命の教育をしている
自称四女の遼子さんに
叱られてしまいました。
「その時その時
必要なことをして上げること
それが大事なのよ」って。
母の日課は新聞を読むこと。
「読んでも分からないし
読む端から
忘れちまうんだけどね」
母はそう言いながら
朝から晩まで読んでいます。
しかし、寄る年波。
メガネを掛けていても
すぐ目が疲れ
しょぼしょぼしてきます。
だから
ちょっと読んでは目をしばたかせ
ちょっと読んでは目を瞑ります。
そんな母を見かねた三女が
「ライト付きの天眼鏡」を
送ってくれました。
あなうれし、喜ばし!
これで
母の目はなんとかなる!
わたしはこの天眼鏡に
大いに期待したのです。
だけど、残念無念
母には
この「ライト付き」が
使えませんでした。
力の弱った母の指では
「スライド式」のスイッチが
どうにも動かせなかったのです。
そんなわけで
せっかくもらった天眼鏡は
居間のテーブルに置かれたまま
一向に使われません。
宝の持ち腐れとなったのです。
それでわたしは
「悪いかな?」とは思いつつ
3女に電話をかけました。
「触れれば点く奴が欲しいんだけど」
って。
「読んでも分からないし
読む端から
忘れちまうんだけどね」
母はそう言いながら
朝から晩まで読んでいます。
しかし、寄る年波。
メガネを掛けていても
すぐ目が疲れ
しょぼしょぼしてきます。
だから
ちょっと読んでは目をしばたかせ
ちょっと読んでは目を瞑ります。
そんな母を見かねた三女が
「ライト付きの天眼鏡」を
送ってくれました。
あなうれし、喜ばし!
これで
母の目はなんとかなる!
わたしはこの天眼鏡に
大いに期待したのです。
だけど、残念無念
母には
この「ライト付き」が
使えませんでした。
力の弱った母の指では
「スライド式」のスイッチが
どうにも動かせなかったのです。
そんなわけで
せっかくもらった天眼鏡は
居間のテーブルに置かれたまま
一向に使われません。
宝の持ち腐れとなったのです。
それでわたしは
「悪いかな?」とは思いつつ
3女に電話をかけました。
「触れれば点く奴が欲しいんだけど」
って。
先日
洋品店の奥さんと
お喋りをしました。
奥さんの店は
わたしの町からちょっと離れた町の
商店街にあります。
奥さんは話し好き。
ミシンをかけながら愚痴ります。
「昔はこの商店街・・・
肩と肩がぶっつかるほど
賑わっていたのよ。
でも、もう駄目
ここはもうゴーストタウン。
お客も来なくてこの1年
仕入れにだって行っていないのよ。
だから、分かるでしょ!
収入なんて
わずかな国民年金だけ。
頼りにしたい長男なんか
婿に行ったも同然
帰って来やしない。
亭主が胃を切った時だって
一度来たっきり。
『その後どう?』
って、電話一本無いのよ。
だからね
病気になったら一巻の終わり。
亭主と二人
路頭に迷うしかないの」
そう言って
奥さんは肩を落としました。
確かにこの商店街
真っ昼間だというのに
人っ子一人通りません。
軒並み
シャッターが下りていて
昔日の面影が
全くないのです。
「みんな引っ込んじゃって・・・
隣同士
顔を合わせる事だって
ないんだもの」
奥さんが
ため息と一緒に言いました。
「もうお先真っ暗
まったく
どうすりゃあいいんだろ」
そう嘆く奥さんに
わたしは
かける言葉もありませんでした。

食事用エプロン・じぶんでプロン
奥さんは今、75歳。
わたしは奥さんに
食事用エプロン・じぶんでプロンを
作って頂いています。
洋品店の奥さんと
お喋りをしました。
奥さんの店は
わたしの町からちょっと離れた町の
商店街にあります。
奥さんは話し好き。
ミシンをかけながら愚痴ります。
「昔はこの商店街・・・
肩と肩がぶっつかるほど
賑わっていたのよ。
でも、もう駄目
ここはもうゴーストタウン。
お客も来なくてこの1年
仕入れにだって行っていないのよ。
だから、分かるでしょ!
収入なんて
わずかな国民年金だけ。
頼りにしたい長男なんか
婿に行ったも同然
帰って来やしない。
亭主が胃を切った時だって
一度来たっきり。
『その後どう?』
って、電話一本無いのよ。
だからね
病気になったら一巻の終わり。
亭主と二人
路頭に迷うしかないの」
そう言って
奥さんは肩を落としました。
確かにこの商店街
真っ昼間だというのに
人っ子一人通りません。
軒並み
シャッターが下りていて
昔日の面影が
全くないのです。
「みんな引っ込んじゃって・・・
隣同士
顔を合わせる事だって
ないんだもの」
奥さんが
ため息と一緒に言いました。
「もうお先真っ暗
まったく
どうすりゃあいいんだろ」
そう嘆く奥さんに
わたしは
かける言葉もありませんでした。
食事用エプロン・じぶんでプロン
奥さんは今、75歳。
わたしは奥さんに
食事用エプロン・じぶんでプロンを
作って頂いています。