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母の耳が致命的に悪い。

そう
気付かされたのは

正月休みが終わって
わたしが富山に帰った後でした。

富山への道を
ひた走っていた時

妻が母に
ご機嫌伺いの電話をかけました。

しかし

何度コールしても梨の礫
母が電話に出ないのです。

何度か、かけ直した後

「昼寝でもしているのだろう」
と、電話するのを止めました。

そんな事の後、富山に着いて
再度電話をしたのですが

やっぱり音無しの構え。

それから2時間経ち
3時間経っても更に応答なし。

「もしや・・・」
と、悪い予感がよぎります。

そのうち
東京住まいの妹たちからも

「お母さんが
電話に出ないけれど・・・」
と、問合せが相次ぎ

「出かけるときゃあ元気だったんだ。
きっと大丈夫だよ」

と、空元気を出して答えてはみたものの
不安は募るばかり。

そして・・・
夜も更けた11時

母から電話があったのです。

「なんぼう待っても
なんぼう待っても、電話が来やしない。

一体どうしたの!

電話位したって
罰は当たらないでしょ!」

母が怒りを抑え切れないように
言い募りました。

「どうしたのって
お母さんこそどうしたの!

何回かけたって出ないのは
お母さんじゃない!」

「そんな事言ったって

私はずうっと電話の前で
待ってたのよ。

トイレだって
我慢してた位なのよ!」

母とわたしが交互に
相手の責任を追及しました。

そんな責任追及の最中

わたしは「もしや・・・」っと
思ったのです。

『母には電話のベルが聞こえないのかも』
と、そう思い至ったのです。

それで翌朝

ヘルパーさんの来る時間に
電話をかけ

呼び出し音が母には聞こえない事を
確認したのです。



考えてみればそうなんです。

わたし達がいた暮れや正月

電話は全部
わたし達が取り次いでいました。

「お母さん電話だよ」

そう言って
いつも受話器を手渡していたのです。

わたし達がいる間中

母に電話を取らせたことなど
1度もありません。

良かれと思って
していた事だったけれど

だからこそ

わたし達は母の状態に気付く事も
無かったのです。

母だって多分

自分の状態に気付いていなかった
と、思います。

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わたしは

Tさんの話をわたしに聞き直す
母にもイラつくし

母に聞こえるように話さない
Tさんにもイラつきます。

だから

「お母さん!

遠慮しないで
Tさんに聞き直してよ!

Tさん!

聞こえるように
ちゃんとしゃべってよ!」

と、いつもそう文句を言うのです。

最近の母は
男性の声はともかく

女性の声が
特に聞き取れません。

補聴器を使ってもよく聞こえません。

『さ』が『ぱ』に聞こえたり
『き』が『つ』に聞こえたり

『た』が聞こえなかったり
『す』が聞こえなかったり

これじゃあ
話が話になりません。

だから、仕方なく
母はわたしに聞き直すのです。

わたしには
それはよく分かっているのです。

でも

わたしがいつも傍に
いられるわけじゃあありません。

だからこそ

周りで話す人たちには
母に聞こえるように話して欲しい。

そういう「弱者への想像力」を
持ち続けて欲しいのです。



でも

これは言うは易く
行いは難しの話。

母に分るように話し続ける事なんて
とても出来ない相談。

親孝行のわたしでさえ
うんざりしている難行苦行

他人様に要求出来るような事では
とてもないのです。

その証拠がわたしです。

母に対して
「何度でも聞き返せ」だなんて!

言った私が間違っているのです。

話の輪に入れず
気弱になっている母に

何度も
聞き返せる筈が無いのです。

だから
母の「耳」対策は

わたしにとって焦眉の急
なのです。

もろもろの 集いの席に 出てみても
話にそえぬ つんぼの吾は

これは
しばらく前の母の句です。

数え101歳になって
母は急に耳が遠くなりました。

「Tさんは何て言ってるの?」

みんなで雑談している時

母が縋る様な目をして
毎度わたしに聞きます。

大勢で話しているのに

母は決まって
わたしに聞き直すのです。



「お母さん!

しゃべってるTさんに
直に聞き直してよ!

聞こえないときゃあ
聞こえないって言えばいいんだよ。

遠慮するこたあ無いんだよ。

Tさん!
Tさんだってそうだよ。

お母さんに聞こえるように
ちゃんと、しゃべってやってよ!」

と、わたしは
母とTさんに文句を言うのです。

わたしは

「何て言ってるの?」
と、毎度話の腰を折る母も煩わしいし

母に聞こえるように話さない
Tさんにもイライラするのです。

「目が見えなくなったり
耳が聞こえなくなったり

忘れ物をしたり

いったい私のどこが
壊れちゃったのかしら?」

と、母が最近
わたしによく聞きます。

「ここさ」

わたしは直ぐに
自分の頭を指して見せます。

こうすると

母もわたしの気持が分って
にやっと笑うのです。

母の『にやっと』を見て
わたしもにやっと笑うのです。

「ここさ」が
言えない時は

「芽衣子に電話してみたら!」
とか
「瑠璃に聞いてみたら!」
とか

3女や真正4女に
電話をかけるように勧めるのです。



「どこが壊れてしまったのかしら?」

と、母に聞かれても

わたしには答える言葉が本当に
無いのです。

そんな時は
ただ冗談でも言ってはぐらかすか

姉妹に話を振って

一刻も早く
遠ざかるしかないのです。
夕日・・・

一口に夕日といっても
その表情は様々。

毎日毎日同じ場所で
同じ時間に見ても

こうも違うものかと思うほど
違います。
              
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                                             富山湾に沈む夕日


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  弥陀ヶ原・5月の夕日      南アルプスの夕日


だけど
夕日は母と同じ。

いつもわたしを
見ていてくれるのです。

どこにいようと何をしようと

わたしのことを信じて
見守ってくれているのです。

夕日を見ると

わたしは
いつも母のことを想います。

だけど

不思議と
父のことは想わないのです。

もちろん

わたしは父に愛されていたし
わたしも父が好きだった。

だけど

父には
本当に申し訳ないのだけれど

親を想うとき

何故か母のことを
先に想ってしまうのです。

不思議なことに

母のようには
父のことを想わないのです。

だから

夕日を見る時わたしは

いつもちょっと
後ろめたさを感じてしまうのです。
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