忍者ブログ
[183]  [182]  [181]  [180]  [179]  [178]  [177]  [176]  [175]  [174]  [173
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

母の耳が致命的に悪い。

そう
気付かされたのは

正月休みが終わって
わたしが富山に帰った後でした。

富山への道を
ひた走っていた時

妻が母に
ご機嫌伺いの電話をかけました。

しかし

何度コールしても梨の礫
母が電話に出ないのです。

何度か、かけ直した後

「昼寝でもしているのだろう」
と、電話するのを止めました。

そんな事の後、富山に着いて
再度電話をしたのですが

やっぱり音無しの構え。

それから2時間経ち
3時間経っても更に応答なし。

「もしや・・・」
と、悪い予感がよぎります。

そのうち
東京住まいの妹たちからも

「お母さんが
電話に出ないけれど・・・」
と、問合せが相次ぎ

「出かけるときゃあ元気だったんだ。
きっと大丈夫だよ」

と、空元気を出して答えてはみたものの
不安は募るばかり。

そして・・・
夜も更けた11時

母から電話があったのです。

「なんぼう待っても
なんぼう待っても、電話が来やしない。

一体どうしたの!

電話位したって
罰は当たらないでしょ!」

母が怒りを抑え切れないように
言い募りました。

「どうしたのって
お母さんこそどうしたの!

何回かけたって出ないのは
お母さんじゃない!」

「そんな事言ったって

私はずうっと電話の前で
待ってたのよ。

トイレだって
我慢してた位なのよ!」

母とわたしが交互に
相手の責任を追及しました。

そんな責任追及の最中

わたしは「もしや・・・」っと
思ったのです。

『母には電話のベルが聞こえないのかも』
と、そう思い至ったのです。

それで翌朝

ヘルパーさんの来る時間に
電話をかけ

呼び出し音が母には聞こえない事を
確認したのです。



考えてみればそうなんです。

わたし達がいた暮れや正月

電話は全部
わたし達が取り次いでいました。

「お母さん電話だよ」

そう言って
いつも受話器を手渡していたのです。

わたし達がいる間中

母に電話を取らせたことなど
1度もありません。

良かれと思って
していた事だったけれど

だからこそ

わたし達は母の状態に気付く事も
無かったのです。

母だって多分

自分の状態に気付いていなかった
と、思います。

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]