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草取りをしていた頃の母は
1本1本丁寧に
それこそ舐めるように
根こそぎ抜いておりました。
「1本でも残っていると
種がこぼれるからね」
っと、いつもそう言いながら
何日もかかって
草取りをしていたのです。
でも・・・
だから、時間が掛かった。
抜いて行く後ろに
もう、次の草が生えて来る程
時間がかかったのです。
それを見ていて
わたしはよく言ったものです。
「お母さん!
そんなに丁寧に
抜くこたあ無いんだよ。
ざっとでいいんだよ
ざっとで!」
って。
「それにさ
種なんか
出来たっていいんだよ。
大賀ハス
知ってんでしょうが大賀ハス!
大賀ハスなんて
2000年も前のが
芽を出したんだよ。
草の種なんて、何千年でも
生きているんだからね。
今年のだけ
取ったって無駄さ。
昔のが
必ず芽を出すんだよ。
それが証拠に
お母さんが見る度取っても
またすぐ
生えてくるでしょうが!」
って。
だけど母は強情一途
私の諫言など屁とも思わず
思い込んだ道を進みます。
「そんなこと言われたって
私の気が済まないのよ。
きれいに取らなけりゃあ
気持が悪いのよ!」
母は頑なにそう言って
舐めるような草取りを
続けていたのです。
その母が
取れなくなって
今わたしが
嫌々ながら取っているのです。
除草と言えば・・・
母は
草取りが好き。
草の根を一切残さず
舐めるように取るのが好き。
草を取った後の真っ黒な土
無限の命を育むふっかふかの土
それを見るのが母の無上の喜び。
足さえ許せば・・・
膝さえ許せば・・・
腰さえ許せば・・・
母は一日中
草を取っていたい人なのです。
だけど
それはもう無理
たまに常口の草を
何本か抜くことはあっても
もう昔のようには
取れないのです。
母はもう
思うようにしゃがめません。
座ってしまうと
ひとりでは
もう立ち上がれないのです。
立っていたって
杖無しでは
もうふらついてしまうのです。
だから今は
杖にすがりながら
常口の
石垣の草を数本抜くので
精一杯なのです。
母の歌です。
一歩二歩
歩くことさえままならぬ
この身にとりて除草は無理か
「飛来乙女の百寿を祝い
皆様に感謝申し上げる食事会」
わたしの結びの挨拶です。
皆さん
本日はお忙しいところを
ご出席下さいまして
ありがとうございました。
心からお礼申し上げます。
おかげさまで
母はこの10月8日に
満100歳となりました。
母は
明治41年に
身延町の日蓮宗の寺に生まれ
昭和5年に父と結婚
5人の子供に恵まれました。
最愛の夫こそ
33年前に亡くしましたが
子供たちにもその連れ合いにも
孫やひ孫にも恵まれ
入院するような病気をすることもなく
この日を迎えることが出来ました。
私が何よりも嬉しかったことは
母が自分の手で
100歳を寿ぐ
総理大臣からの祝詞を
受け取ることが出来たことです。
こうやって母が元気で
楽しく生活して来られましたことは
ひとえに皆様のご支援のおかげと
感謝しております。
今日は
母の100年の人生をまとめた
『百寿舎』もご覧頂きました。
「なんと変わったことを」
と、思われた方も
おられたかも知れません。
しかし
母にとってはもちろんのことですが
私たち子、孫、ひ孫にとっても
「母がどんな一生を過ごして来たのか
また、これから過ごして行くのか」
は、本当に大事なこと。
母という個人を通して
世の中のあるべき姿だとか
社会への貢献の仕方だとか
隣近所の助け合いだとかを
考えるきっかけになると
考えております。
皆様にも
ぜひまたお訪ねいただき
ここで母とお茶でも
飲んで頂ければと思います。
今日はお忙しいところを
お出で下さり
本当にありがとうございました。
「飛来乙女の百寿を祝い
皆様に感謝申し上げる食事会」
母の挨拶です。
皆さん、こんにちは。
今日はようこそ
お出かけ下さいました。
皆さんには
それぞれ都合をつけられて
お出で下さったことと思います。
私は今
言葉も出ないくらい感激して
喜んでいるのです。
本当にありがとうございました。
私もとうとう
100歳になりました。
長いこと念願だった
「百寿舎」もやっと出来上がり
今日初めて
皆さんに見て頂きました。
これを作ったのは
私がどんな人間だったのか
私がどんなに
皆さんに感謝しているか
覚えておいて
欲しかったからです。
私はこれから
益々健康に注意して
頑張って生きますので
皆さんもまたお元気で
百寿舎にいらして下さい。
お茶でも飲みながら
おしゃべりしましょう。
今日はせっかくお出で頂いたのに
何のおもてなしも出来ません。
だけど
昔話などしながら
楽しい一時を
過ごしていただきたいと思います。