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記念館問題は
このままうやむやに
そう願っていたのですが・・・。
7月中旬
実家に帰ると
近くの工務店の社長が
待っていました。
「お母さんが図面を書けって言うから
書いて来たけんど
どうすりゃあいいだえ」
っと、言うのです。
寝耳に水
何のことやらわたしには分りません。
「そりゃあ一体何の事だ?」
と聞くと、真正4女が来て
「お母さんが
小屋を建てたいって言っているから
行って話を聞いてやって」
と、言ったと言うのです。
「だから
話を聞いて図面を書いて
見積りを作って来た」
と、言うのです。
「何と
出しゃばったことをする奴!!
俺に一言の相談もなく
何をするんだ!!!」
と、わたしは
真正4女を憎たらしく思ったのです。
しかし
わたしは生粋の日本人気質。
『長い物には巻かれろ
流れには逆らわず
大勢に順応する』気質。
姉妹一気の強い真正4女を
敵の回す訳には行きません。
「見積りまでしちゃったんなら
仕方がないか!」
と、真正4女に責任をかぶせ
気持に踏ん切りをつけたのです。
「お母さん!
ここまで来たんなら
頑張って建てようか!」
と、わたしが言った時の
母の嬉しそうな顔。
『やっぱり、建てると決めてよかった!』
と、つくづく思ったのです。
母にもしものことがあった時
それこそ
悔やんでも
悔やんでも
悔やみ切れないだろうと
思えて来たのです。
「新しい建物なんて無駄なんだよ」
という言葉に
わたしの気持を察した3女が
言ってくれたのです。
「お母さん!
太郎さんがそう言うんなら
この居間を改造してもらったら
どうかな?
駄目?
居間じゃあ駄目?!
なら、玄関を改造して
そこに飾ったらどうなの?
駄目? 駄目なのかあ!
なら
お蔵を改造するってのはどう?
駄目? それも駄目かあ。
なら
長屋を改造するってのはどう?
駄目?
やっぱり駄目なのかあ。
・・・・
・・・・」
3女は
わたしの飲めそうな案を
次々繰り出してくれました。
だけど母は強情、ぜ~んぶ却下。
「そうなのかあ。
お母さんはどうしても
新しいのを建てたいのかあ。
そうなのかあ。
・・・・
・・・・
太郎さん!
お母さんはどうしても
建てなきゃ嫌なんだって!」
3女もとうとう匙を投げ
その晩は
結局物別れに終わったのです。
「太郎!
私はね!
記念館を建てない内は
死んでも死に切れないのよ!」
やっぱりだった!
母は諦めていなかった。
忘れていなかった。
母のしぶとさと詰問に当惑した
わたしですが
自分でやるのはやっぱり面倒
それで反撃に出たのです。
「お母さん、何言ってるの!
ぼかあ何も建てるのに反対って
わけじゃあないんだよ。
だけど
記念館なんか建てなくたって
家中がもう
お母さんの物で溢れているじゃない。
部屋中に掛けられた表彰状も
飾り物も写真も・・・
ぜ~んぶお母さんの物じゃない。
この家その物がもう
お母さんの記念館。
お茶だって
この居間で飲んでもらえば
いいじゃない。
新しい建物なんて無駄なんだよ!
それにだよ
例え建ててもだよ。
建てりゃあ終わりってわけじゃ
ないんだよ。
それからが大変。
建物に合うように
飾る物を整理しなきゃあ
ならないんだよ!
そんなもの凄く大変なことを
一体誰がやるのさ!」
わたしも必死、そう強弁したのです。
だけど本音を言えば・・・
強弁しながらわたしは
母の目の奥の悲しさに気付き
途方にも暮れていたのです。
しかし
天の助けと言うか、妹の助けと言うか
それまで黙って聞いていた3女が
助けに入ってくれたのです。
母が記念館について
何も言わなくなって半年
わたしの『のらりくらり作戦』が
功を奏したかに思えて来た
6月の半ば
母が100歳を迎える
ちょうど
4ヶ月前の夕食時のことです。
「食事が終わったら
ふたりとも居間に来て頂戴!
話があるから!」
たまたま来ていた
3女とわたしに向かって
母が
強い口調で言い放ったのです。
「話なら、今すればいいじゃない」
そう、わたしが水を向けたのに
母は断固無視
「後でっ!」
っと、別の話題に
切り替えてしまったのです。
「もしや、記念館の話では・・・」
わたしは
悪い予感に怯えながら
3女が折角作ってくれた夕食を
じっくり味わうこともなく終え
共に居間に行ったのです。
わたし達が座るや否や
母が言いました。
「芽衣子、聞いてよ!
太郎はね
記念館に反対だって言うのよ。
私がこんなに頼んでいるのに
ちょっとも動かない。
頼んでから半年も経つのに
何にも手を打ってくれないのよ」
「太郎!
私はね!
記念館を建てない内は
死んでも死に切れないのよ。
どうして建ててくれないのよ!」
母はいつもの仏様のような笑顔を忘れ
そう畳み掛けて来たのです。
母に、そう宣言してしまいたい
のだけれど・・・
残念ながら
わたしは母親思いの孝行息子。
母の願いを
無残に打ち砕くような
真似は出来ない、したくない。
母を失意の奈落に
突き落とすような
そんな真似は
したくとも出来ない、したくない。
「駄目だ、反対だ」と
はっきり言って
先の見えている母を
悲しませたくはないのです。
だからわたしは
のらりくらり逃げ回ったのです。
母が記念館のことを
どうか諦めますように・・・
忘れますように・・・
興味が別のテーマに
移りますように・・・
そんな期待をしながら
時の流れに任せるような
任せないような
『のらりくらり作戦』を取ったのです。
だけど母は
結構しぶとい女。
衰えて来ているようで
意外としっかりしているのです。
忘れるようで意外に忘れないのです。
『のらりくらり作戦』を取りながら
わたしは
そこに一抹の不安を
感じていたのです。