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国際福祉機器展では
本当に
多くの方々にお会いしました。

その中から
印象に残った方を何人か
ご紹介したいと思います。

8e7cf79f.jpeg
 展示会場の一こま





1人目は

わたしと同じ富山県からの出展者で
本業は配管工事業の社長さん。

社長さんは

お母さんを8年間自宅介護され
その経験から床下収納型のトイレと
風呂を開発されたのです。

寝たきりの方のトイレや入浴は
本当に大変なこと。

少しでもお役に立てたらと
ボランティア精神で
頑張っておられるのです。

2人目は、ご婦人の二人連れ。

そのお一人が長いこと
寝たきりになられた
ご主人の世話をされ

その経験から
「男性用尿瓶」を開発されたのです。

「いい物を作っても
本当に売れないのよね」

と、介護機器製造販売の難しさを
ひとしきり話して
帰って行かれました。

3人目は
終了間際に来られて
わたしと意気投合

1時間も話し込んで行かれた
神奈川県のNさん。

Nさんは12年間
認知症のお母さんの
面倒を見られたのです。

お母さんは4年は在宅で
8年は施設での生活でした。

Nさんが凄いのは
この施設での8年間に
3000回

食事の世話のために
お母さんの元に通われたのです。

Nさんでなければ
食事を取らなかったと言うのです。

Nさんは
お母さんを介護する間に

様々な施設や
介護士さんたちに出会い
喜んだり悲しんだり

感謝したり不満を覚えたりした
と言うのです。

今はその経験を活かし

介護の質を高める為の
ホームページを開設するのだと
話しておられました。



世の中には
いろんな介護経験から

世の為人の為にと
頑張っておられる方がいることが
良く分った機器展でありました。  
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平成20年9月23日。

東京ビックサイトで
第35回国際福祉機器展が
開催されました。

連日超満員
合計11万余名の入場がありました。

内外600社が参加する
この大展示会

私も富山県厚生部のブースを
お借りして
関連機器を出展いたしました。



入場者は

福祉施設関係や一般
開発企業関係、学術関係等など
多岐に渡ります。

d43f315c.jpeg


 富山県は福祉機器の開発を
  支援しています







1番印象的だったのは

福祉機器を
実際に使っておられる方々の
参加が多かったこと。

問題意識の深まりに
出品者として

身の引き締まる思いが
いたしました。

2番目に印象的だったのは
福祉を勉強しておられる
学生さん達。

505eeeed.jpeg
 起立補助椅子・イタクナイスを
   試す学生さんたち






人数が多かったこともですが
その熱心さに驚いたのです。

この学生さんたちが

これからの
高齢社会を担って行くのか
と思うと

わたしの説明にも
ご意見拝聴にも力が入ったのです。 
わたしは珍しく

他人様に
褒められてしまいました。

褒めて下さったのは

わたしと同じように

お母さんの
面倒を見ておられる方です。

「介護用品って
帯に短し襷に長しでしょ。

これはぴったりだってものが
ほんとに無いのよ。

そんな無い物を

自分で作っちゃうんだから
あなたって凄い。

私なんか思ったって
手も足も出やしない。

あなたの凄いところは
そこなのよ。

あるものを買ってくるだけなら
誰でもするんだけどね。

自分で作っちゃう人なんて
そうそういないわよ」

と、口を極めて褒められたのです。

わたしは褒められて
ちょっぴり嬉しかったのです。



だけど
作るのには訳があるのです。

それは

わたしには
100を超えた母がいて

ぴったり合う物が無い
からなのです。

「必要は発明の母」

わたしの毎日は
これを実感する毎日。

発明テーマだけは
着実に増えているのです。

そして、わたしは今

「耳」を何とかしたいと
無い知恵を絞っているのです。
「何故なの、兄ちゃん!
どうすりゃあいいの、兄ちゃん!」

母がわたしに聞きます。

だけど
わたしには答えられない。

答えに窮したまんま
毎度途方に暮れるわたしです。

f58b7dde.jpeg
 こんな日もあったのに




母は最近
本当に耳が遠くなりました。

特に、高音が駄目。

補聴器が
ハウリングを起していても

気が付かない位駄目。

補聴器を付けていても
相手の口元が見えなければ

全く分らないのです。

だから可哀相に

弾んでいるみんなの話の輪に
加われないのです。

テレビだって
ラジオだって同じ。

観ていたって、聞いていたって
分らないのです。

それに
目も駄目になりました。

メガネを変えても変えても
駄目。

左右の目が
日替わりで見えなくなるのです。

新聞を読んでも

どこを読んでるのか
分らなくなってしまう。

テレビの字幕だって

読み切らないうちに
変わってしまう。

だから
世間の情報が得られないのです。

それに・・・足も駄目。

ひとりで散歩に出ても

5、60メートルも歩けば
疲れ切ってしまう。

大好きな花々も
折角咲いてる花々も

自分ひとりでは
見歩けないのです。

それに・・・頭も駄目。

聞いた話も直ぐ忘れるし
読んだ話も直ぐ忘れます。

喉まで出ている言葉だって
そこで止まって出てこない。

孫の名前だって
時には子供のだって思い出せない。

ほんとうに

「どうすりゃあいいの、兄ちゃん」
なのです。

笑顔でなんて
いられる筈が無いのです。

「最近、何か憂鬱なの」

母が暗い顔で言いました。

「お母さん!

いよいよ老人性うつ病かな?
何が原因なのさ?」

と、能天気なわたし。

「それが分れば
自分で解決できるわよ。

それが分らないから
憂鬱なのよ!」

と、ちょっといらついた母が
答えます。

「ともかく
何にも出来なくなったのよ!

今、聞いたことだって

直ぐに
忘れるようになっちゃって

ともかく

何の役にも
立たなくなったのよ。

何で出来ないのかと
何で忘れちゃうのかと

悔しいやら、悲しいやら・・・」

と、母が嘆きまくります。

「何言ってるの、お母さん!

最初っから覚えられない人だって
いるでしょうが!

覚えようとしない人だって
いるでしょうが!

若い時から

手足も目も耳も口も
不自由な人だっているのに

お母さんなんて
100歳まで

何不自由なく
やって来たじゃない!

お化粧だってそうでしょ!

60、70で
止めちゃう人だっているのに

お母さんは100過ぎたって
やってるでしょうが!

子供たちや孫たちのことだって
そうさ。

みんな達者じゃない。

こんなに幸せなのに

何が不満なの!何が憂鬱なの!」

母の気分を引き立てようと

わたしは
理屈にならない理屈を言いました。

「そりゃあ、そうだけどね。

理屈じゃないのよ
わたしの憂鬱は」

と、母がため息まじりに
言いました。

わたしの慰めにもかかわらず

母の気持ちは
一向に浮き立ちませんでした。



最近の母は

自由にならない
身体や頭に苦しんでいます。

だけど、わたし達は
母に

どこかで聞いた言葉だけれど

『不自由だけど、不幸ではない』

そういう環境と気持で
老いを生きて欲しいのです。

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