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春彼岸の三月二十日
今年もまた
教え子たちが
母を訪ねて来てくれました。
だあれが生徒か先生か
中央が母です
山梨県の
南西の端から北の端まで
車をチャーターして
来てくれました。
母は
「子供たちが、子供たちが・・・」
と、言いますが
みんなもう80過ぎの
子供たち。
毎年撮る写真も
「めだかの学校」状態。
「だあれが生徒か、先生か」
見た目ではもう判別付きません。
そんな子供たちが毎年
痛い足や腰を騙し騙し
来てくれるのです。
そして
持ち寄った料理に
舌鼓を打ちつつ
思い出話に花を咲かすのです。
厳しかった長刀訓練の話
バレーの試合の話
自分たちが叩かれる
竹を採りに行かされた話。
そんな思い出話で大盛り上がり。
みんな70年前の
あの若かった日に戻るのです。
母が奉職していた県内第2の大規模校
増穂尋常高等小学校
右上写真左から4番目が母
戦時中のこと
母は厳しい教師だった
と、子供たちは口々にいいます。
なのに
こんな師弟関係を
70年も続けて来られた母は
やっぱり
教師冥利に尽きる
母なのです。
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