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6時半に出発した
わたしは
250キロの道を
一気に走り
10時半に
病院に着きました。
諏訪湖SAでかけた
電話で
母の意識が戻ったことや
入院先が
隣町の市立病院に変ったことを
知っていました。
それでも
母の元へと
はやる気持は変りません。
確認を取る守衛の電話も
もどかしく
ともかく
救急外来の鍵を開けてもらい
薄暗い廊下を走って
母の病室を訪ねたのです。
母は
薄暗くしたベッドの上で
点滴を受けながら
静かに眠っておりました。
そしてそこには
思いもかけず
従兄弟夫婦が付き添っていて
くれたのです。
しかも、分家の親子まで
付き添っていてくれたのです。
聞けばヘルパーさんも
さっきまで
いてくれたと言うのです。
母は一人ではなかった。
みんなに見守られていた。
わたしは
母が穏やかに眠っていた事も
嬉しかったけれど
みんなが
見守っていてくれたことが
本当に嬉しかった。
「遠い親戚より近くの他人」
そんな言葉もあるけれど
「遠くて近い親戚」も本当に有難い
と、心底思ったのです。
そしてわたしは
軽い寝息を立てる母を見ながら
母の強運に期待したのです。
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