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「先生は元気なの?」
と、幼馴染のトンちゃんが
母の様子を聞きました。
「うん、まあ
何とか元気にやってる。
だけど最近
寂しがり屋になっちゃってさ
だれか傍にいないと
やたら不安がるんだ。
独り暮らしはもう限界
やっぱり、無理みたいだよ。
だから、今は
代わる代わる俺たちが
お袋と一緒にいるように
してるんだ。
そりゃあ大変だよ
俺たちゃほんとに無理してる。
自分の時間削って
滅私奉公さ。
だけど
お袋の気持考えるとね
俺や女房の都合だけで
富山に連れてくってのも可哀想。
それより、何より
お袋の歳で、住むとこ変えたら
右も左も分らなくってさ
それこそ精神的に
参っちまうと思うんだ。
老人性うつにでもさせたら
本末転倒
悔やんでも
悔やみ切れないことになる。
だから、今は何とかこのまま
家で過ごさせてやろうって
そう思ってんのよ。
幸い、お袋が
5人も産んどいてくれたし
姉妹の婿さんたちも
協力的だからさ
大変には大変だけど
何とかしのげているんだよ。
そりゃあ
跡取りの俺が1番大変さ。
自分で言うのも何だけど
姉弟1、無理をしてはいるのは
この俺だよ。
だけどね、月の半分は手抜いて
お袋から離れることだって出来るし
自分のやりたい事だって
まあまあやれてる。
ほんと、ありがたいよ
お袋様々、姉妹様々
婿さん様々、女房様々ってとこさ」
と、わたしは答えました。
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期日前投票に行った母
母の財布には、前から
新聞の切抜きが1枚入っています。
3年前、朝日新聞の声欄に載った
主婦の方の投書です。
母は投書の中身のような社会を
何とか変えて欲しいと
今回も投票したのです。
今回も投票したのです。
主婦の方の投書です。
「働いてはどうか」。そう言われて生活保護を辞退した52歳の男性が「おにぎりを食べたい」と書き残して餓死していた、と17日の社説が伝えていました。
男性は幼かった日、頑張って働いていた頃、こんな悲惨な終焉を迎えるとは夢にも思っていなかったでしょう。飽食日本でなぜ。信じがたい、切ない話です。
この報道に接し、他県の親類の家を改修してくれた工務店の社長の話を思い出しました。社長によれば、住宅のバリアフリー改修に介護保険から補助金が出るとのこと。社長の知り合いのケアマネジャーがその申請に市役所に行き、担当者に「その人はあと何年生きるんですか」と言われたそうです。冒頭の言葉と同レベルの無神経な一言。社長は「そんなことを言われたって、どう答えられるんだよ。だからケアマネもオレたちも間に立って困ってるの」とも言いました。
担当職員の無神経さに腹が立ちます。行政に携わる者と庶民との意識の隔たりの大きさを感じます。そして「美しい日本」などという言葉のそらぞらしさを思います。
男性は幼かった日、頑張って働いていた頃、こんな悲惨な終焉を迎えるとは夢にも思っていなかったでしょう。飽食日本でなぜ。信じがたい、切ない話です。
この報道に接し、他県の親類の家を改修してくれた工務店の社長の話を思い出しました。社長によれば、住宅のバリアフリー改修に介護保険から補助金が出るとのこと。社長の知り合いのケアマネジャーがその申請に市役所に行き、担当者に「その人はあと何年生きるんですか」と言われたそうです。冒頭の言葉と同レベルの無神経な一言。社長は「そんなことを言われたって、どう答えられるんだよ。だからケアマネもオレたちも間に立って困ってるの」とも言いました。
担当職員の無神経さに腹が立ちます。行政に携わる者と庶民との意識の隔たりの大きさを感じます。そして「美しい日本」などという言葉のそらぞらしさを思います。
参院選投票日の前日
母がみんなに伝えてと言うので
一族にメールを送りました。
皆さんお元気でしょうか?
私は風邪で
ゼーゼー言っていますが
食欲もマーマーあるので
多分大丈夫でしょう。
そんな私ですが
今日は思い立って参院選の
期日前投票に行って来ました。
太郎に車椅子を押してもらって
行ったのですが
こんな年寄りが行ったので
立会人もびっくり
「自分で書けますか?
代筆させましょうか?」
などと、聞いてくれました。
だけど、折角行ったのだからと
ありがたい申し出を断り
震える手で
一生懸命書きました。
102歳になる私が行ったんだから
みんなもちゃんと選挙に行ってね。
私は
選挙権を持ってから今まで
選挙に行かなかった事は
ありません。
だから
みんなにも行って欲しいのです。
飛来 乙女
飛来 乙女
研修会の終わりに
部長さんが言いました。
「百寿舎を見せて頂いて
1番印象に残ったのは
乙女さんが82歳で撮った
ウエディングドレスの写真です。
人生の幸せは
何と言っても夫婦仲良く
元気で長生きできることですよね。
私は
皆さんにはもちろん
妻にもまだ
内緒にしてるんですが
勤めが終わったら、妻と
2度目の結婚式を挙げようと
思っていたんです。
今日、乙女さんの写真を見て
それが決意になりました」
「じゃあ、私は
どうすればいいのよ!」
と、遼子が混ぜっ返して
大笑いになったのですが
花嫁姿の母の写真
67歳で父に旅立たれた母は
あの世でもまた父と結ばれたいと
この写真を撮ったのです。
遼子さんもまた
でっかい手で、頭を
撫で撫でしてくれたご主人を
40そこそこで
亡くしているのです。
この春
公衆衛生活動の功績で
厚生労働大臣表彰を受けた
遼子さん。
そのことをイの1番に
報告したかったのは
やっぱり
やっぱり
今もなお愛し、尊敬している
ご主人だったろうに
と、わたしは想像しているのです。
わたしだって、偕老同穴
妻と仲良く
健康で長生きしたいと
母が住む町の
保健師さんの研修会がありました。
母の記念館
百寿舎で開かれたこの研修会
コーディネーターは
自称4女の遼子さん。
「今日は楽しかったあ!」
と、母は寝るまで言っていました。
母は
この研修会について
市の健康増進課から
この研修会について
市の健康増進課から
こんな依頼状を頂いていたのです。
飛来乙女様の健康づくり実践と
百寿舎見学の依頼
うっとうしい季節となりましたが
いかがお過ごしでしょうか。
H市では少子高齢化時代に突入し
生涯現役で元気に過ごしていただく事が
最重要課題になっています。
飛来様には101歳にして
自立した生活をされており
まさにこれからの
高齢者のお手本そのものです。
これまでの健康づくりの実践や
家族の皆様方の支えの様子
今までの愛育会活動の様子など
お聞きできればと思っています。
また、百寿舎の見学もさせて頂きたく
お願いいたします。
数時間の交流
母は心から楽しみ
生きる力を頂いたのです。
母に、「今日は楽しかったあ!」
と、言わせて下さった保健師の皆様