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わたしは近所の仲間と月二回
カラオケバーを借り切り
 
飲みながら
歌いまくっています。
 
そこで、ある夜
辛い話を聞きました。
 
近くの町の元収入役が
入水したと言うのです。
 
町外れのK川まで
タクシーで行き
 
そこで
身を投げたと言うのです。
 
「現場に、靴とコウモリが
揃えられていたからね
 
あれは覚悟の自殺だよ。
 
昨日と今日、大勢人が出て
捜していたのだけれど
 
豪雨で川が増水していて
まだ見つかっていないんだ。
 
って事は、海まで流されて
 
結局、新潟の
I市で上がるんじゃないかな」
 
と、訳知りが話してくれました。
 
80になったかならんかの
この元収入役は
 
認知症の奥さんを抱え
ご本人もまた軽い認知症でした。
 
 
 
この夜
わたし達は歌うのを止め
 
「こんな辛い話を聞かないで済む
世の中にしなければ」
 
と、他人事で無い
元収入役の自死について
 
語り合ったのです。
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萬治君
 
『信州・諏訪のおんばしら』
 
貴兄の本に惹かれて
今年は4回諏訪に行きました。
 
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 3月には、友人Nと
 
 御柱祭り実行委員会を訪問して
 木落し坂を下見



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          (新井君撮影)
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 4月8日には
 
 13人の仲間と1泊2日で
 下社の山出しと木落しを見



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 5月3日には
 
 長女一家と
 上社の里引きを見
 


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 5月9日には
 
 貴兄の2階から秋宮への
 
里引きを見させてもらい
 

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 春宮の建て御柱も
 見させてもらいました。
 
 同封した写真のような
 かわいい木遣り隊にも会えたし
 
 男たちも
 『ほんとの男』に見え
 
 僕は改めて
諏訪の地に惚れ直しました。
 
僕は生まれてこの方
 
あんなに凄い祭りを
見たことがなかった。
 
男も女も
町も村も一体になった大祭り
 
祭り場だけじゃなく
町全体、村全体が

僕たちを
心から歓迎してくれました。
 
みんなが熱くて
あったかかったんです。
 
僕は、阿波踊りも風の盆も
どこやらの裸祭りも見たけれど
 
もちろん
それらに感動も感激もしたけれど
 
それとはまた一味も二味も違う
 
根源的な
何かをもらった祭りでした。
 
連れてった仲間に
諏訪時代の思い出や
 
日本一長い
母校の校歌を語ったのだけれど
 
語っていて
僕は鼻が高かった。
 
僕はやっぱり
青春を諏訪で送れてよかった。
 
それにしても
 
貴兄が自宅を
観光客に開放していたこと
 
いたく感心しました。
 
僕の隣に座っていた
福島からの老婦人も大感激。
 
彼女が音頭をとってやった
2階からの応援に
 
里引きの氏子たちが
ニコニコと振り向いてくれ
 
僕らも祭りに
一層溶け込めました。
 
自宅開放なんてこの時代
なかなか出来ない事
 
里引きの大門通り
民家、数多しと言えど
 
貴兄の所以外
無かった様に見受けられました。
 
本当にありがとう
観光客を代表してお礼申します。
 
同封する写真は
貴兄が写っていないのもあるけれど
 
僕の感動を
共有してもらおうと送ります。
 
知ってる人だったら
 
小屋根の法被の小父さんに
1枚やってください。
 
それではまた
 
          飛来 太郎
 
 

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 わたし達の2階からの応援は
 地元紙・岡谷市民新聞10日版に
 
 『曳行を楽しむ人たちはおんべを振り
 「よいさよいさ」と満面の笑顔』
 
 と、写真と一緒に載りました。
大学時代の
仲間との1泊旅行
 
今年は急きょ
4月の信州・諏訪になりました。
 
だけど
急きょとは言っても
 
高度成長期を生き抜いた
歴戦の兵たちは余力ばっちり
 
奥さん方を入れて
総勢13名となりました。
 
トレッキングをやる新井君など
ヒマラヤから帰った翌日の参加
 
合わない食事と高山病とで
6Kg痩せたままでの参加でした。

だけど

余力ばっちりとは言っても
みんな68、9の前期高齢者

そろそろ1病や2病
出てもおかしくない年令なのです。

わたし自身が
気をつけるのはもちろんですが

仲間にも
本当に気をつけて欲しいのです。
 
 
 
わたしのこの仲間は討論好きで
旅行好きの祭り好き。
 
わたしたちは、祭りだけでも
 
秩父夜祭、阿波踊り、おわら風の盆と
次々巡って今年が御柱祭り。
 
こんな楽しい
気の置けない仲間たちとの一泊旅行
 
『みんなが元気で
いつまでも続けられればいいな』
 
と、わたしは願っているのです。
諏訪で
青春時代を過ごしたわたしですが
 
御柱祭りは
未だ見ていませんでした。

  (萬治君の著書) 
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 それが3年前
 
 高校の学年会で再会した
 級友・萬治友美君から著書
 
 『信州・諏訪のおんばしら』をもらい
 
 『次のは、何としても見るぞ!』
            と、思うようになったのです。
 
それで、どうせ見るなら
仲間と一緒に見たいと声をかけ
 
急きょ
『御柱旅行』となりました。
 
そして
「せっかく諏訪まで行くのだから」
 
と言う仲間の提言で
高遠城址公園の桜も見たのです。

(永楽君撮影の高遠城址公園)
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 高遠城址公園はご存知の通り
 諏訪の南南東約35Kmにあり
 
 弘前公園、吉野山とともに
 『日本の桜の3大名所』

               と、言われる所です。
 
高遠城はラッキーにも
ちょうど桜が満開
 
本当に
目の保養をさせてもらいました。
 
『見るは法楽、目の薬』
とはよく言ったもので
 
わたしの老眼も
 
何だか良くなった様な気がしたのです。
大学時代の仲間とする
恒例の1泊旅行
 
例年は秋なのに急きょ変更
春の信州・諏訪路に決めました。
 
なぜって
今年が御柱年だったからです。
 
御柱祭りは
 
7年に1度開かれる
諏訪大社の勇壮な祭り
 
氏子たちが何百年も
必死で守り継いできた
 
人も物も無かった
あの第2次世界大戦の最中でさえ
 
命がけでやり抜いた
伝統の祭り。
 
諏訪の人々は
働くのも遊ぶのも結婚するのも

この祭りに絡め
人生の区切りとして生きている

と、言うのです。
 
だけど、わたしは
まだ見たことがありません。
 
半世紀前、この諏訪の地で
高校生活を送ったわたしなのに
 
御柱祭りは
見ていなかったのです。
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