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「金にならんかったんは、何も
米やジャガイモだけじゃあない。

田んぼだって

畑だって同じ。

跡継がせてくれた
親父には悪いんだけれど

田舎の土地なんて
3文の値打ちも無かった。

なぜって

欲しい人が
まったくいないんだ。

自分のことを棚に上げて

他人のことだけ
言えないけれど

みんな

都会へ出てっちゃったり
工場へ勤めちゃったり

田舎にゃあ

作る人、使いたい人が
全然いない。

いるのは、70、80の

腰の曲った
爺ちゃん婆ちゃんだけ

自分の田畑でさえ
『もう作るのを止めたい』

って、言ってる有様で

売りたくたって
売れる分け、ないんだよ。

 
もちろん、土地にゃあ
借り手だってつかんかった。
 
『田んぼが荒れんだけ増し』って
そう考えて
 
『年貢無しでいいから』って
拝み倒して
 
使ってもらえたのは
使い勝手のいいでっかい田んぼだけ
 
ちょっと不便な田んぼにゃあ
この10何年
 
とうとう
借り手がつかなんだ。

そんなねえ

自分で使う当ての無い土地
売れる見込みも無い土地

そんな土地を
何10年も無目的に

ただ、管理
続けるなんてことは

いくら
跡取りだからって言われても

俺にとっちゃあ
空しい

ただ面倒くさいだけの
ことだった。

『うちの稲に被さってるから
田んぼの土手草を刈れ』だの

『虫が湧くから
雑草畑に殺虫剤を撒け』だの

『水利権持ってんだから
水路掃除に出ろ』だの

『山道直すから
道普請に出ろ』だの

『県道飾る

花壇の水当番しろ』だの

田舎にゃあ

こんな空しい
収入にもならん作業

近所に迷惑かけない為だけの
作業や

昔っからの権利義務

地域を維持してく為の
共同作業がやたらあるんだよ」

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「米でもジャガイモでも作りゃあ
妻子を路頭に迷わすこたあ無い

 って、そう思ったんだ」
 
と言う
タケちゃんの言葉通り
 
先祖伝来の
家屋敷や田畑は
 
『いざと言う時の頼みの綱』
 
と、わたしも家を継いだ時
考えていたのです。
 
 
 
「だけどね
そりゃあ間違いだった。
 
家だあ、土地だあは
農本主義時代の話。
 
高度成長期
都会に出た俺にとっちゃあ
 
会社も潰れず、首にもならんかった
俺にとっちゃあ
 
そんななあ
ただのお荷物でしかなかった。
 
何にも生み出さず
俺や家族に、負担をかけ放題かける
 
金でも時間でも出てく一方の
お荷物だった。
 
考えても見ろよ!
俺たちが頑張ってた高度成長期
 
米やジャガイモ作って
一体いくらになったって言うのよ!
 
爺ちゃん婆ちゃんが
 
生きてくのがやっとの
収入にしか、ならんかったんだ。
 
だから、俺は
 
農業になんて
頼ろうにも、頼れんかったし
 
田舎にだって
帰ろうにも、帰れんかった」

「まさか
こんなに大変だなんて・・・」 

タケちゃんの愚痴話は
止めどなく続きます。
 
だけど、タケちゃんの話は
周りで聞くわたし達にとっても
 
決して他人事ではないのです。
 
これは
 
高度成長期に都会に出た
わたし達跡取りの、共通の愚痴話。
 
わたし達は共感しながら
タケちゃんの話に聞き入ったのです。
 
 
 
「俺は長男だからね。
 
『タケオは跡取り息子だ』って
 
ちっちゃい時から
みんなに言われていたからね。
 
自分でももちろん
家継ぐ、つもりでいたんだよ。
 
だから
 
俺の結婚話がまとまった時
親父から正式に
 
『家を継げ』って言われたときゃあ
ほんとに嬉しかった。
 
『1人前になったからな』って
親父に認められて、心底嬉しかった。
 
だから
 
『妻と2人で
しっかり家を守って行きます』
 
って、2つ返事で受けたんだ。
 
もちろん俺には
ちょっとした打算も、あるにはあった。
 
だってそうだろ。
 
家屋敷や田畑がありゃあ
何てたって心丈夫。
 
会社首んなったって、会社潰れたって
米でもジャガイモでも作りゃあ
 
妻子を路頭に迷わすこたあ無い
って、そう思ったんだ」

「まさか
こんなに大変だなんて 

家継げって言われたときゃあ
思っても見なかった!」
 
と、同級会の2次会で
タケちゃんが言いました。
 
 
 
タケちゃんはわたしの中学の同級生
旧家の跡取りです。
 
東京の大学を出て
そのまま東京で家族を持ちました。
 
実家のご両親は既に亡くなり
生家はこの10年、空き家です。
 
それで、タケちゃんは
月に1度、田舎に通い
 
締め切った家に風を入れたり
雨樋の掃除をしたり
 
庭の除草をしたり
植木の手入れや消毒をしたり
 
借り手のいない
田畑の草刈を頼んだり
 
道普請や水路掃除の
出不足を支払ったり
 
近所に葬儀が出れば
何があっても駈け付け
 
墓穴掘りをしたり、帳付けをしたり
 
タケちゃんは、住む当ても
継いでもらえる当ても無い生家が
 
朽ち果てて行くのに
必死で棹差し
 
昔っからの
近所付き合いも続けているのです。
 
タケちゃんは2次会で

そんな
都会に出た跡取りの大変さを

延々、口説きまくったのです。

「お袋は
何とかこのまま

家で過ごさせてやろうって
そう思ってんのよ」

と、わたしが言うと

幼馴染みのトンちゃんが
ため息を1つついて言いました。

「そりゃあ、いいねえ。

何だかんだ言っても
もう、ちっとだもんね。

頑張れるだけ、頑張ってやれし。

俺んとこは、お袋
施設に入れちゃったからね。

あれで
良かったんかなあって

いっつも
心に引っかかってるのよ。

ほんとは、俺
物凄く後悔してる。

連れてく時、お袋が

テーブルにしがみ付いて
泣き叫んだんだ。

『ご無心だあ、お願いだあ』

ってね。

『いい子にするから

何とか
家に置いといてくりょう。

お勝手の隅っこでも
物置の端っこでもいいから

何とか
家に置いといてくりょう』

って、泣き叫んだんだ。

俺だって、何も

施設へなんか
入れたかあなかった。

だけど
入れなきゃ

孤立無援のこの俺が
潰れちまうとこだった。

でもね
今んなるとね

あれで良かったんかなあって
線香上げるたんび

あん時のお袋の姿
思い出すんだよ。

あれで良かったんかなあって」



いつもは無口なトンちゃんが
長々としゃべりました。

1人っ子のトンちゃんは

東京でついた仕事を
40いくつで辞めて帰郷

お母さんと2人、昔からの
古い家で暮らしていました。

もちろん、奥さんも
一緒に帰ったのだけれど

何故か

別棟を建てて、そこで1人
暮らしていました。

そして

トンちゃんは
孤軍奮闘した挙句

3年半
施設で暮らしたお母さんを

1昨年亡くしたのです。

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