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暖かい陽気に誘われ
母とドライブに出かけた時の話です。

「玄関の鍵は閉めたの?
勝手口は?
百寿舎は?」
 
家の外へ出た途端、母が聞きました。
 
「大丈夫、閉めたよ」
と、わたしは答えました。
 
「サンルームの鍵は閉めた?
炬燵の電気は止めた?」
 
車の方へ歩き出しているのに
母が未だ聞きます。
 
「大丈夫だってば!
 
僕といるときゃあ
全部任しといてよ、そんなこたあ!」
 
わたしは苛つく心を押し殺して
言いました。
 
『そんなことより、自分のハエ追ってよ!
自分のハエを!』
 
っと、わたしは心の中で
続けて母に言ったのです。



母がそうやって
1つ1つ確認して
 
家を守っていてくれた事を
わたしは心底感謝しています。
 
だけど、わたしは68、母は101

母はわたしに両手でつかまり
やっと歩いているのです。

戸締りしたか、電気消したかと
1つ1つ聞かれると
 
やっぱりうんざりしてしまうのです。
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春うらら
 
ひなたぼっこをしていた母が
石垣の上の草を見つけ
 
取りたいと言い出しました。
 
『そんなことはもう無理』と思ったわたしですが
「駄目だよ」とも言えず
 
母の手を引き
石垣の所へ行ったのです。

dc789e76.jpeg
 
「ほら、こうやって石垣につかまれば・・・」
 
と、母はそう言ったのですが
やっぱり手が届きません。
 
結局、石垣の間から伸びた草を2、3本
抜いた所で草取りは終わりました。
 
 
「どうしてこんな事に
なっちゃったのかしらねえ」
 
と、母がそう言ってため息をつきました。
 
わたしは答える言葉もなく
聞こえないふりをしていました。
春らしい陽気に誘われ
久し振りにひなたぼっこをしました。
 
常口に
デッキチェアを2つ並べ
 
わたしは母と
ゆったりとした時間を過ごしました。
 
「あの山は何て名前?
あの一番高い、雪の深そうなあの山」
 
「ありゃあ、甲斐駒
 
か・い・こ・ま
甲斐駒だよ、お母さん!

お母さんが昔
僕に登っちゃあ駄目って言った山さ」

「へ~え、そうなの。
 
じゃ、あの木は何だっけ?
あんな大きな木、家にあったのかしら?」
 
「ありゃあ、白樺
お母さんがむか~し植えたんじゃない」
 
「じゃあ、あれは?」
 
「あれはモミの木
あれだって、お母さんが植えたんだよ。
 
『樅の木は残った』って大河ドラマ
覚えてるかなあ

NHKの
あのテレビ観て
お母さんが植えたんだよ。
 
 『モミの木なんて
庭木にするもんじゃない』って
 
叔父さんに嫌味さんざん言われてさ。

それでも植えるって
お母さんが突っ張ったんだよ」
 
「そうだったの。
そんな事があったの」
 
 
 
母が半分忘れてしまった話
たわいない、他人にはつまらない昔話だけれど

わたしは思い出し思い出し
母との会話を楽しんだのです。
2010年3月9日
山梨に大雪が降りました。
 
積雪は庭先で40センチ

わたしが住んでいる北陸、黒部でも
最近見たことの無い春の大雪です。

8ce82495.jpeg
 
 咲きかけた
  福寿草を隠した大雪
 




ca8d28e0.jpeg

日差しに緩み
  カールして滑り落ちる屋根雪 





山梨はもともと
雪などあまり降らない所
 
除雪体制が磐石とは言えません。

雪国・黒部のように
夜明けまでに除雪完了とは行かないのです。
 
だから
この朝のわが家は正に陸の孤島状態

新聞も来なければ
牛乳も来ていませんでした。

でもまあともかく
いつ来るか当てのない配達人の為に
 
道だけは開けておかなければと
わたしは外に出ました。
 
だけど、備えが無いのはわが家も同じ
まともな除雪具がありません。
 
しかたなく
わたしは重くて古いスコップを使い
 
門口から県道まで
大汗かいて雪かきしたのです。
 
県道の除雪
車道はすでにブルがやってくれていました。
 
だけど、歩道は手付かずのまま
放置されていました。
 
でも、遠くでは
 
あちらこちらに人が出て
歩道の雪かきを始めていました。
 
だからわたしも
人生初めてのことだけれど
 
家の前の歩道を
数百メートル雪かきしたのです。
 
母の住む部落では
大人はみんな車で移動
 
歩道を歩くのはもっぱら
学校へ通う子供達です。
 
でももうその子供達も
指を折って数えるほどしかいません。
 
だからこそ、子供達は部落の宝
みんな子供達の為にと大汗かいていたのです。
 
わたしの故郷には未だ
そんな人情が生き残っているのです。

便利な
「デジタルフォットフレーム」

「これはAさん、それはBさん・・・」
 
そう言いながら、母と長姉が長いこと
思い出写真を見ていました。
 
だけどその内
「これは誰だっけ、あれは誰だっけ」
 
と、忘れてしまった人が
多くなって行きました。
 
そんな事が続いて
わたしの写真が出てきた時
 
「これは誰だっけ?」

っと、
ブラック会話の好きな長姉が
聞きました。
 
「これは太郎じゃない!
 
私の大事な人
一番信頼している人」
 
と、母がにこにこ
自信をもって答えました。
 
「歳を取ると
 
恥ずかしくて言えない様なことを
言える様になるんだよね」
 
側でニヤニヤしているわたしを見て
長姉が言いました。
 
 
 
そうなんです。
そう言われて見ればそう。
 
母は
出かけるわたしに握手を求め
 
その手に頬ずりするような
仕草をすることが
あるのです。
 
母はもうそれほど
わたしに頼り切っているのです。
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