[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
母は時々
失敗のような
失敗でないような失敗をします。
要らない物を
買い込んだり溜め込んだり。
指輪やお金を仕舞い忘れたり。
だけど
それには
母なりの理屈があるのです。
買い込んだ大量の教育ビデオ
これは将来
孫やひ孫に観せたい物。
溜め込んだ大量の下着
これは娘たちや知人への
形見分け用。
仕舞い忘れた指輪やお金
これは盗まれないように
置き場所を変えてるうちに
忘れてしまった物。
先日のぼや騒ぎ
あれは皿を持ちに行くのが
面倒だったから。
そうなんです。
みんな母なりの
理屈があって
していることなのです。
だけど
そんなのを見つけた時
わたしは
ついつい言ってしまいます。
「教育ビデオなんて
孫やひ孫の誰が観るのよ!
しかも、そんな物
図書館で
いくらでも借りられるんだよ」
「他人の買った下着なんて
今時誰が着るのよ!
合わないって
捨てられるのが落ちなんだよ」
「隠し忘れの指輪や現金なんて
盗られたのと同じ!
泥棒に使ってもらった方が
まだまし」
「パックのフタはフタでしょ
皿じゃないでしょ!
面倒なのと火事と
どっちがいいの!!」
よせばいいのにわたしは
次々駄目だししてしまいます。
だけど
ここまで言われても
負けているような母ではありません。
強情といおうか、健気といおうか
自分の理屈で敢然と言い返して来ます。
それでも
最後には
言い負けるのですが
母が納得していないことは
見え見え。
目を硬く閉じ
口を大きく膨らませて不満顔。
それからしばらくして
歌うように言うのです。
「分っちゃいるけど止められない・・・」
って。
母には
母なりの理屈がある。
それは
駄目出ししているわたしにも
分っているのです。
「母の失敗」
と、わたしは言うけれど
それは失敗というより
母とわたしの
価値観の違いなのです。
それが分っていながら
言わでもの事を言って
母の夢や誇りを
打ち砕いてしまうわたしの不遜。
そういう事を
言ってしまう自分に
嫌気がさしている
わたしでもあるのです。
でも
「分っちゃいるけど言っちまう」
わたしなのです。