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友江さんは
なぜ母に感謝を?

下の思い出話は

母と父の出会いを書いた
「ギョロ目」からの抜粋です。



それは

昭和3年4月1日だった
と、思います。

同じ年の3月下旬に

山梨県女子師範学校専攻科を
卒業した私は

身延尋常高等小学校に
赴任いたしました。

 

9ea9ab65jpeg


 身延尋常小学校へ赴任
  中央座っているのが母




学校を出て
1人前になったつもりでしたが

いざ赴任してみると
至らないことばかりでした。

当時の学級編成は
各学年2組ずつ

子供達は

成績の優劣によって
2組に分けられていました。

成績で
クラス分けするなんて

今から思えば
考えられないことですが

それは
当時の教育方針でした。

私は

3年劣組男女の受け持ちに
なりましたが

問題児も多かったように
思います。

でも
それより酷かったのは

休み時間などに
行われる

優組の
劣組に対する虐めでした。

劣組の子供は
優組の子供に

馬鹿にされたり
喧嘩を売られたり

泣かされることが
しばしばだったのです。

師範学校を出たてで
未完成な私は

かばい切れなくて

悔し涙を流すことが
何回もありました。



「かばい切れなくて
悔し涙を流す・・・」

しかとは分りませんが

教育者としての母には
こんな気持が

いつも
あったのかも知れません。

友江さんは

母のそんな気持に
共鳴していたのかも知れない

と、わたしは
想像したりしているのです。

友江さんは

母と同じ
教員になられたのです。

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