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一生園に行くとわたしは
母との会話の合間に
 
姉妹にメールを送ります。
 
それはわたしの退屈しのぎになったり
母の近況報告になったり
 
情報交換の場になったりします。
 
 
 
『むかし
 
テレビに、『樅の木は残った』って
大河ドラマがありました。
 
平幹二郎主演のあれです。

64d9c14d.jpeg 
 あのドラマに触発された母は
 
 裏山から樅のおさな木を抜いて来て
 庭の片隅に植えました。
 
 庭にうるさい叔父には
 
「そんな木は
庭になんか植えるもんじゃない」
 
とさんざん嫌みを言われ
忠告もされたのでしたが
 
母が生来強情だったのと
 
父が植木などに頓着しない人でも
あったので
 
そのまま
樅の木は大きくなりました。
 
そして
 
父が亡くなり
母が一生園に入り
 
僕がその樅の木を
伐りました。
 
「雷が落ちたらどうするんだ!
倒れたら家もろともだぞ!」
 
という友人たちの忠告に
従ったのです。』
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一生園に行くとわたしは
母との会話の合間に
 
姉妹にメールを送ります。
 
それはわたしの退屈しのぎになったり
母の近況報告になったり
 
情報交換の場になったりします。
 
 
 
『人間の祖先はやっぱり鳥。
 
お母さんの手を見て
そう確信する僕って変かなあ?』
一生園に行くとわたしは
母との会話の合間に
 
姉妹にメールを送ります。
 
それはわたしの退屈しのぎになったり
母の近況報告になったり
 
情報交換の場になったりします。
 
 
 
『昼食を、ひとり
もくもくと食べているお母さんの横で
 
誤嚥が怖くて
喋りかけることもできない

手持ち無沙汰な僕は
 
暇に任せてお母さんの
空いている左手をにぎってみた。
 
冷たいんだよな、これが
びっくりするほど冷たいんだ。
 
むかし
寒い冬
 
凍えた僕の手を包んでくれた
あの暖かかったあのお母さんの手は
 
いつの間に
こんなに冷たくなったんだろう。
 
10才か11才の
小生意気な子供になって
 
自分で大きくなったような顔をして
手を繋がなくなって
 
そしてまた
お母さんの手を引くようになって
 
気が付いたらもう
お母さんの手は冷たくなってた。
 
たった60年ほどの間に
 
人間の手ってこんなに
冷たくなっちまうもんなんだ!』

一生園に行くとわたしは
母との会話の合間に
 
姉妹にメールを送ります。
 
それはわたしの退屈しのぎになったり
母の近況報告になったり
 
情報交換の場になったりします。
 
 
 
『お母さんとこへ行く前に
畑をしようと早起きしたのに
 
今日は8時前から雨降り。
 
仕方なく?
お母さんとこへ11時に来ました。
 
お母さんは散髪したせいか
きれいっぽくなっていて
 
花が一杯飾られたテーブルに
座っていました。
 
何時もと違い
元気にしゃべるおばさんたちと一緒
 
「花が好きだから
このテーブルに来たんだよ」とか
 
「耳だって聞こえるから
話ができていいじゃんね」とか
 
「かわいいよう」とか
言われていました。
 
話し相手にされて
お母さんもちょっとうれしそう。
 
今は二階の食堂で健たん家振りを発揮
一人でもくもくと食べています。
 
手がかからなくて
ほんとに楽。』
 
一生園に入って3ヶ月
母の体調が戻って一安心の日々です。
一生園に行くとわたしは
母との会話の合間に
 
姉妹にメールを送ります。
 
それはわたしの退屈しのぎになったり
母の近況報告になったり
 
情報交換の場になったりします。
 
 
 
『お母さんはこのところ
毎日午後になると37、8度熱が出ます。
 
その度
抗生剤で対処し熱を下げています。
 
食欲はあり、昼食には園の食事と
僕が持って行くバナナを完食しています。
 
だけど、ちょっと心配だから

僕は富山へ帰るのを1日延ばし
明日昼食を一緒にした後出発します。
 
その後は
芽衣子と瑠璃、がんばってくれ!』
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