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一生園に行くとわたしは
母との会話の合間に
 
姉妹にメールを送ります。
 
それはわたしの退屈しのぎになったり
母の近況報告になったり

情報交換の場になったりします。
 
 
 
『お母さんのベッド横の
サイドボードに貼ってあるA4の写真
 
みんな見たかな。
 
先日、リーダーの牛田さんが
撮ってくれた
 
翔子姉ちゃんがお母さんに
ご飯食べさせている写真。
 
それ見ながら
このメール書いてるんだけれど
 
翔子姉ちゃんももう80
老老介護もいいとこだよな。
 
写真の顔だけ見ていたら
どっちが介護者なのかわかんないよ。
 
匙を持ってる方が
介護する方だろうって
 
そりゃあまあ一応
想像はつくんだろうけれど
 
人間80も104も
大した変りはないんだよな。
 
翔子姉ちゃん!
 
化粧、念入りにしてこないと
お母さんと間違えられるよ!』
 
 
 
わたしは暇に任せ
 
長姉にそれとなく、しかし
しっかりと駄目を入れたのです。
 
長姉はまだ80だと言うのに
化粧っ気を無くしています。
 
103まで自分できちんと化粧していた
母の娘であるのにも関わらずです。

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2012年5月9日
母が一生園に入所しました。
 
一生園は完全介護
そのおかげで
 
わたし達の気持ちにも
ゆとりが出来て来ました。
 
そんな中、大きく変わったのは
長姉・翔子の気持ちです。
 
母の介助をする気が出て来た
って感じ
 
いや、介助なんて難しいことは
しないけれど
 
母と一緒にいる気だけは出て来たって
感じなのです。
 
それまでの長姉ときたら
 
長女として
甘やかされて育ったせいか
 
あくまでも自分中心の生き様。
 
母の介助なんて
二の次三の次って感じだったのです。
 
「介助されたいのは私の方。
 
だって、私は
乳母日傘で育てられたのよ。
 
自慢じゃないけど
 
されたことはあっても
してあげたことが無いの。
 
介助しろって言われたって
 
何をしたらいいのか
まったく分からないのよ!!!」
 
と、出来ないことを自慢げに
ほざいていたのです。
 
そんな長姉が急に
自分から一生園に行くと言い出し
 
毎日母と一緒に
昼食をとるようになったのです。
 
もちろんそれは
 
長姉が実家に帰って来ている時
だけのことだけれど
 
それでも園で無聊をかこつ母にとっては
大きな慰めになるのです。
 
それでわたしは
 
長姉への感謝と更なる発奮を期待して
姉妹たちにメールしたのです。
 
まあ、言ってみれば
善い行いをみなに知らしめ
 
褒めて育てるって感じです。
 
 
 
『不思議なことに
最近の翔子姉ちゃん
 
お母さんの面倒を
ほんとによくみるようになってきた。
 
自分がやらなきゃならないことが
解ってきたらしく
 
自分から動くように
なってきたんだ。
 
『私は長女
何にも出来なくて当然』
 
っていう
甘えが少しだけ抜けて
 
『お母さんのために何かしよう
何かできることしよう』
 
って気持ちが出てきたんだ。
 
こりゃあ凄い進歩だよ、進歩。
 
進歩と言やあ、僕もそうさ。
 
この歳になって
 
自分のポジションが
わかってきたような気がする。
 
近所の葬式なんかでも
 
それなりに
動けるようになって来たもんね。
 
昔は、何したらいいのかまったく
わからなかったんだけれど
 
今は何となく自分で
動けるようになった気がする。
 
人間やっぱり歳を取ると
誰でも成長するんだね。
 
伊達に歳重ねているんじゃ
ないんだ、きっと。』

妻が65歳になって
年金をもらうようになり

近くの農協に
口座を作りました。

すると、嬉しいことに窓口で

『長寿の心得』がプリントされた

日本手拭いを
プレゼントされました。



『長寿の心得


人の世は山坂多い旅の道
年齢の60に迎えがきたら

還暦 60才
とんでもないよと追い返せ

古稀 70才
まだまだ早いとつっぱなせ

喜寿 77才
せくな老楽これからよ

傘寿 80才
なんのまだまだ役に立つ

米寿 88才
もう少しお米を食べてから

卒寿 90才
年齢に卒業はない筈よ

白寿 99才
100才のお祝いが済むまでは

茶寿 108才
まだまだお茶が飲み足らん

皇寿 111才
そろそろゆずろうか日本一

念ずれば花開く
気を長く心は丸く腹立てず

口慎めば命長かれ



JAくろべ年金友の会
20周年記念

 

口は災いの元。

例え冗談でも
相手が

きちんと受け止められる
年齢でないと

とんだことになります。



次女のマノンが

娘のかおることの会話を
メールして来ました。

マノンは眼科医をしていますが
将来かおること

一緒に仕事したいのです。



『かおることの今日の会話。


「医者になったら
人に喜んでもらえるよ~。

お医者になって一緒にやろうよ」

かおるこ
「絶対医者になりたくない」


「どうして?」

かおるこ
「じいじに殺してって
頼まれるから」

この後、私は
説明に大変苦労しました。

今も
理解してくれてるか不明。

かおるこが
医者にならなかったら

じいじの責任だからね(笑)』



1昨年
椎間板ヘルニヤの手術をした時

わたしが何気なく言った言葉を
4歳の孫娘ははっきりと

その幼い脳に
刻み込んでいたのです。

わたしは
全身麻酔で手術したのですが

余りにも気持ちよく
眠りに入り

余りにも気持ちよく
目覚めたものですから

つい冗談で

「死ぬならあの死に方がいい。
マノン、よろしく頼むぞ」

と、見舞いに来てくれたふたりに
言ってしまったのです。

わたしは
孫娘を傷つけたことを反省

お詫びメールを
送りました。



『参ったなあ!

手術の時の麻酔が
気持ちがよかったって

話したからかなあ?

悪かったなあ
今度は少し気を付けて話すよ。

マノンとかおるこが
二人とも医者だと

じいじも
安心して長生きできるから

ぜひなってくれって
かおるこに頼んどいてくれ!』


リハビリパンツに
排尿させたいのですが・・・

何かいい方法はないでしょうか。

102歳になる父は超頻尿。

30分から1時間おきに一晩中
トイレに通い

本人はもちろん周りのものも
睡眠不足になっています。

父は半寝ボケで行くので
転んだりもするのですが

介護する者も高齢の為
抱き起こす事が出来ず

畳の上で朝まで
と言う事も何度かありました。

「気にしないで
そのままパンツにしてよ!」

と勧めるのですが、父は
「どうしても嫌だ」とききません。

諦めさせて何とか
リハビリパンツでさせたいのですが

うまい方法は無いでしょうか?

父の尊厳を傷つけることだとは
十分承知しているのですが

本人の安全も守りたいし

私達の負担も
何とか軽減したいのです。

なお
父は心臓が悪く

この2、3年
『利尿剤』を服用しています。

どうか対処法をお教え下さい。



母の頻尿にせっぱつまった
わたしは

『教えてGOO』に
投稿してみましたが

残念ながら
回答はありませんでした。

生まれた時から100年余り

「パンツ汚すな、パンツにするな!」

と、親に躾けられ
自分でも

そういうもんだと
頑張ってきた母。

そんな母に今更

「パンツにしてよ」

と言うわたしは
何と言う人非人だろうと

自分で自分につばを
吐きたくなりました。

 


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