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友人・Nが
仲間とのやり取りを
メールして来ました。
Nはご存知
「ご託宣」の男。
Nのメールです。
毎晩行く明野温泉太陽館で
友人とこんな会話をしました。
「俺の望みはPPP」
と、友人。
「PPPって何よ?」
と、僕。
「ピンピン生きてポックリ死ぬことさ。
だけどな
あんまりポックリ過ぎちゃあ
駄目。
後に残された者が慌てるからな
一月くらいかけて死ぬのが
最高の死に方。
それ位が丁度良いんだよ!!」
と、友人。
「ポックリ逝けるかどうかは
ともかく
お互いいい死に方ができるまで
元気でやっていこうよ!」
と、僕。
夕べの風呂は
こんな話で盛り上がりました。
わたしの住む富山では
「PPK」というのが流行っています。
「ピンピンころり」の略で
PPPと同じ意味合いです。
ちょっと前まで他人事だった
「ポックリ信仰」が
わたしの仲間内でも
始まったのです。
友人の新井君が
美しい山の写真を
送ってくれました。
地蔵岳と
そこから撮った富士山の写真。
地蔵岳 2764m
本当に美しい風景です。
地蔵岳は
南アルプス、鳳凰三山の一つ。
わたしが子供の頃から
いつも
見上げて来た山の一つです。
わたしの実家は
八ヶ岳の麓にあります。
後ろに八ヶ岳連峰
右に南アルプス連峰
左に秩父連山茅が岳
真南に富士山を仰ぎ
眼下に
甲府盆地を見下ろす
風光明媚な所です。
だから
山登りには絶好の地。
小学校時代のわたしは
山好きの恩師に連れられて
三つ頭や権現に
十何遍も登っていました。
わたしが
高校生になって
念願の山岳部に入りたい
と、言った時のことです。
「山登りだけは止めて!
跡継ぎの男は
一人しかいないんだからね。
そのことをよく考えて!」
と、母が真顔でいいました。
母はわたしに
「これは駄目、あれは駄目」
と、言ったことはありません。
だけど
この時だけは
駄目出ししたのです。
「お母さんの所為で
こんな寂しい正月に
なるんだよ!」
妻を
元日に実家へ行かせる母に
わたしは
時々文句を言います。
そんな時
母は決まって言うのです。
「嫁だって意識がないのよ。
自分の生んだ娘達も晴子ちゃんも
みんなかわいい私の子供。
自分の娘なら正月ぐらい
帰りたい所へ
帰してやりたいじゃあない 」
って。
わが家の嫁姑
母には
苦い思い出があるのです。
大昔
80年近くも前の大昔
母は父の元へ嫁いで来ました。
大恋愛の末のことです。
でも
それからが大変。
嫁姑の確執が
長いこと母を苦しめたのです。
その経験が
たぶん母を自制的な姑にし
嫁を迎える母の
心構えを作ったのだ
と、わたしは思うのです。
だから母は
「実家に帰ってきたら!」
と、言わないわたしに
業を煮やしているのかも
知れません。
「妻を守るのは
夫の務めでしょうが!
あなたに代わって
私が言ってるのよ!」
と、わたしを諭している様にも
思えるのです。
「実家へ
帰ってらっしゃい。
お父様もお母様も待ってる筈よ」
正月
元日の午後
母はそう言って
毎年、妻を送り出して来たのです。
親を思う子の気持
子を思う親の気持を
考えてのことです。
だけど
4人いるわたしの姉妹は
誰ひとり里帰りして来ません。
結婚したわたし自身の子供たちも
誰ひとり里帰りして来ません。
お陰でわたしは長いこと
母と二人だけの
三が日を過ごして来たのです。
「お母さんが
いいかっこするから
こんな寂しい正月になるんだよ」
わたしは時々
母に文句を言うのです。
すると
母が毎度言い返すのです。
「だけど
親心は誰でも同じだからね」って。
「じゃあ
お母さんの気持ちはどうなのよ。
じゃあ
僕の気持ちはどうなのよ」
わたしもまた
そう言ってしまうのです。
母は一人暮らし。
わたしたち夫婦は遠く離れて
住んでます。
だから母だって
三が日ぐらい
賑やかに過ごしたい筈なのです。